著者
岡田 祥平 Okada Shohei オカダ ショウヘイ
出版者
大阪大学大学院文学研究科日本語学講座
雑誌
阪大日本語研究 (ISSN:09162135)
巻号頁・発行日
no.20, pp.1-31, 2008-02

「標準語」は規範性を持った「唯一の正しい言語」であるという見方が、一般的、代表的なようである。そのような認識の背景には、「標準」という語に(強い)「規範性」の色彩が付随するうえに、殊日本においては、1945年以前の「標準語」強制教育の記憶も存在していると考えられる。しかし、近年になり、スタイルを軸にして「標準語」をとらえる立場の真田信治によって、「標準語」を「唯一の正しい言語」と見なすのではなく、「標準語」にも多様性が存在することを認める主張が提示されるようになった。ただ、先行研究ではほとんど取り上げられていないが、真田以前にも「標準語」の多様性を認める言説が発表されている。そこで本稿では、先行研究では看過される傾向にある真田以前の「標準語」の多様性を認める言説の中から、特に1940年前後に発表されたものを、彼らの「標準語」の定義とともに紹介する。本稿で取り上げる言説の筆者は、熊滞龍、崎山正毅、白石大二、服部四部の4人である。