著者
森 理恵 RIE MORI
出版者
京都府立大学学術報告委員会
雑誌
京都府立大学学術報告 人間環境学・農学 (ISSN:13433954)
巻号頁・発行日
no.56, pp.51-65, 2004-12

台湾植民地征服戦争に1895年から1903年まで参加した憲兵の日誌を紹介する。内容は主に,台湾での自分の任務についてであり、なかでも抗日車との戦闘の様子をくわしく記している。著者の高柳彌平は,憲兵上等兵として台湾に出征し,軍需品輸送警備,抗日車との交戦のほか,現地で台湾語を学んで通訳となり,台湾人の密偵を使って情報収集などをした。勤務地は主に台南であった。現地の環境を考慮せずに持ち込んだ日本車の衣食住の様式は,兵士を苦労させただけでなく,徴用や略奪といった形で現地の住民に被害を及ぼすことになった。著者の台湾人住民に対する行動は,「良民撫育」と「土匪討伐」に二極化しているが,いずれにせよ,相手の人格の無視ないし軽視である。この二つの任務に明け暮れた著者の生活は,その後長く日本に根付く,台湾の人々に対する蔑視を形作る要素となったと考えられる。
著者
横林 結 森 理恵 YUI YOKOBAYASHI RIE MORI
出版者
京都府立大学学術報告委員会
雑誌
京都府立大学学術報告 生命環境学 (ISSN:18826946)
巻号頁・発行日
no.61, pp.9-17, 2009-12-25

アジア太平洋戦争敗戦後の1950年前後の日本において, 洋裁・洋装の普及過程で注目された「直線裁ち」は, 洋服地と洋裁技術のないままに, 「和服」地と和裁の技術をもって洋服を身につける, という困難な課題に対する解決策であった。またそこに西洋の洋服とは違う, 「日本人に合った洋服」が求められることにもなった。本研究では, この時期に, 多くの服飾関係者や一般の人々が, 「日本人にとって洋服とは」という疑問につきあたり, 「和服」と洋服との折衷とも言える「直線裁ち」に活路を見出そうとしていたということ, また, 洋服に「和服」の手法を取り入れるという方向と, 「和服」に洋服の手法を取り入れるという方向との双方向があったことを明らかにした。加えて, 和服がほぼ儀礼服と化した現在と異なり, 1950年前後の時期は, 「日本人にふさわしい衣服」についての議論が活発であり, 「和服」と洋服のあり方や両者の関係についてもとらえ方が流動的であることを明らかにした。
著者
東 朋美 森 理恵 TOMOMI AZUMA RIE MORI
雑誌
京都府立大学学術報告. 生命環境学 = The scientific reports of Kyoto Prefectural University. Life and environmental sciences (ISSN:18826946)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.1-17, 2008-12-25

日常的着物着用者が「なぜ着物を着るのか」ということを調査した結果,それぞれの着用者は,現代の着物の問題点を次のように克服していることを明らかになった。価格と販売方法については呉服店と親しくなることや古着店や骨董市,ネットオークションを利用すること。着付けや手入れのむずかしさについては,同じく呉服店と親しくなることや,近所に洗い張りの専門家を見つけること,着付けや手入れの技術を習得した母や祖母の身近にいること,和裁などを習得して自分で技術を身につけることである。とくに古着を着用する場合には,いつでも利用できるメンテナンスの方法を確保することが必須となる。着物のルールについては,わずらわしいと感じるより,着物特有のしきたりを身につけることで自分を高めようとする意識が見られた。友人のネットワークが日常的な着物の着用と関係していること,着物の「伝統文化価値」が着用者にとって着物の魅力となっていることも明らかになった。
著者
森 理恵 RIE MORI
雑誌
京都府立大学学術報告. 人間環境学・農学 = The scientific reports of Kyoto Prefectural University. Human environment and agriculture (ISSN:13433954)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.51-65, 2004-12-25

台湾植民地征服戦争に1895年から1903年まで参加した憲兵の日誌を紹介する。内容は主に,台湾での自分の任務についてであり、なかでも抗日車との戦闘の様子をくわしく記している。著者の高柳彌平は,憲兵上等兵として台湾に出征し,軍需品輸送警備,抗日車との交戦のほか,現地で台湾語を学んで通訳となり,台湾人の密偵を使って情報収集などをした。勤務地は主に台南であった。現地の環境を考慮せずに持ち込んだ日本車の衣食住の様式は,兵士を苦労させただけでなく,徴用や略奪といった形で現地の住民に被害を及ぼすことになった。著者の台湾人住民に対する行動は,「良民撫育」と「土匪討伐」に二極化しているが,いずれにせよ,相手の人格の無視ないし軽視である。この二つの任務に明け暮れた著者の生活は,その後長く日本に根付く,台湾の人々に対する蔑視を形作る要素となったと考えられる。