著者
高橋 沙奈美 Sanami Takahashi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.235-251, 2015

マダム・ブラヴァツキーは幼少のうちから,ひとところに長く落ち着いて生活することのない「遊牧民的」生活を余儀なくされた。様々な民族と宗教が混在するロシア帝国の南方を転々と放浪する生活をしたこと,特にアストラハンで遊牧民のカルムィク人とそのチベット仏教に出会っていたことは,彼女のその後の人生に少なくない影響を及ぼしたと考えられている。母エレーナは,この放浪生活に耐えがたい疲弊を感じていたが,その一方で,西欧文明とは異なる生活の中にインスピレーションを見出し,「異郷」を舞台とした一連の小説を発表した。時に,1820–1830 年代のロシア文壇を風靡したロマン主義は,「カフカスもの」と称されるロシア南方を舞台とした小説を輩出していた。エレーナ・ガンの創作も,この潮流に棹差すものだったのであり,1838 年に彼女が発表した,カルムィクを舞台とする小説「ウトバーラ」もまた,ロシアのオリエンタリズムが生み出した作品の一つといえる。本稿はガンを育んだ人々や環境,彼女が抱き続けた理想や,彼女が生きた時代の歴史的・文化的背景を踏まえながら,ガンが見たカルムィクと仏教世界を小説「ウトバーラ」の中から読み解く試みである。Madame Blavatsky had no choice but to move from one place to anotherfrom the time she was in the cradle. Her family nomadically moved aroundthe southern part of the Russian Empire. Her encounter with the Kalmykpeople in Astrakhan affected her for the rest of her life to some extent. Hermother, Elena Gan, was also inspired by differences with the life in her"Europe," when exhausted from her non-cultural—sometimes even barbaric—nomadic life.She wrote several novels set in a strange land. Meanwhile, "Caucasiannovels," concerning the Southern Russian lands and peoples, played an importantrole in the history of the Russian romantic literature in the 1820's and1830's. Gan followed the mainstream. In 1838, she published "Utballa," set inKalmykia, which should be considered as one of the fruits of Russian orientalism.In this essay, I discuss the representations of the Kalmyk and their Buddhismin the novel, taking into account the author's background, her ideals,and the historical and cultural circumstances of her time.
著者
高橋 沙奈美 Sanami Takahashi
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.235-251, 2015-11-27

マダム・ブラヴァツキーは幼少のうちから,ひとところに長く落ち着いて生活することのない「遊牧民的」生活を余儀なくされた。様々な民族と宗教が混在するロシア帝国の南方を転々と放浪する生活をしたこと,特にアストラハンで遊牧民のカルムィク人とそのチベット仏教に出会っていたことは,彼女のその後の人生に少なくない影響を及ぼしたと考えられている。母エレーナは,この放浪生活に耐えがたい疲弊を感じていたが,その一方で,西欧文明とは異なる生活の中にインスピレーションを見出し,「異郷」を舞台とした一連の小説を発表した。時に,1820–1830 年代のロシア文壇を風靡したロマン主義は,「カフカスもの」と称されるロシア南方を舞台とした小説を輩出していた。エレーナ・ガンの創作も,この潮流に棹差すものだったのであり,1838 年に彼女が発表した,カルムィクを舞台とする小説「ウトバーラ」もまた,ロシアのオリエンタリズムが生み出した作品の一つといえる。本稿はガンを育んだ人々や環境,彼女が抱き続けた理想や,彼女が生きた時代の歴史的・文化的背景を踏まえながら,ガンが見たカルムィクと仏教世界を小説「ウトバーラ」の中から読み解く試みである。