著者
Watson Victor 田中 美保子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.281-293, 2016-09

本稿は、前号に続く、Lucy M. Bostonの児童書Green Knoweシリーズ全6巻を「音」の描かれ方に注目して考察した論考の翻訳の後半である。前3作同様、物語の舞台は、Bostonが長年住んでいたイングランドで人が住み続けている最古の家をモデルにした館とその周辺である。シリーズ第4巻A Stranger at Green Knowe (1961)は、文体と構成の完璧な融合、深いテーマなどから、動物物語のイギリス児童文学最高傑作の1つである。これ以前の3作にも現れていたBostonの言葉に対するこだわりと情熱がこの巻に結実している。Bostonは、描写の密度と物語の緊張を合致させ、情熱的で詳細な説明によって、読者に「正義」を強く求める「語りの欲求」('narrative desire')とでも言うものを積み重ねていくような手法を取っている。シリーズ最後の2作では、作家として、物語をすっきり終息させていこうとするBostonの姿勢が窺える。第5巻An Enemy at Green Knowe (1964)では、理想化された子どもを三人登場させ、特別でかけがえのない古い館に対するBostonの確固としたこだわりを言葉で随所に明示する。最終巻The Stones of Green Knowe (1976)では、この館を建てたノルマン人の少年を登場させ現代にタイムトリップさせる。衰退していく世界の非常に現実的で暗澹たる姿をこの物語に見る者もいるだろうが、この作品は12世紀の暮らしが手に取るようにわかる歴史小説の名作であるとも言える。いったん外れたかのように見えた「時間」というテーマに、Bostonは再び立ち返っている。但し、直線的な時間軸を前後に行き来するように見えながら、物語全体の構成は円環的である。人生の終息を意識する作家自身の年齢(この巻出版時84歳)を考えると当然であろう。どの巻でも、どのような手法を用いるとしても、Bostonの視点は常に若い読者に置かれている。そのうえで、この作家にとって非常に大切であった死と衰退の問題を、慰めと快活さと静けさによって子どもも楽しめるファンタジー文学作品として結実させている。それは、あらゆる種類の音が、時を超越した深い静寂の中に融け込んでいる世界である。