著者
加藤 桂子
出版者
東京女子大学
雑誌
史論 (ISSN:03864022)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.196-210, 1955
著者
田中 健夫
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.71, no.2, pp.119-134, 2021-03-30

It is an important practical issue to understand and intervene in the minds of perpetrators in clinical psychological support for those who have committed harmful acts. It is important to distinguish between the perpetrator’s own past experiences of victimization, such as being abused, and their sense of victimhood. One of the origins of victimhood is identification with the aggressor’s guilt that was internalized through the experience of being abused. This paper discusses the importance of the client’s development of guilt, intervening to understand the client’s train of thought, and sharing the psychological circumstances that compel the client to become dissociative.臨床心理学的な支援において、加害行為に至った者の心の中にある被害体験と被害者意識をいかに理解し取り扱っていくのかは重要な実践的課題である。加害者が実際に経験をした過去の被虐待などの被害体験と、被害者意識とを識別することがまずは重要である。被害者意識は、被虐待経験を通して内面化された攻撃者の罪悪感への同一化にひとつの起源がある。罪悪感を発達させること、クライエントの思考の筋道を把握するための介入、解離的にならざるをえない心的状況を共有していくことの大切さについて考察した。

36 0 0 0 IR 神代の幽契

著者
大森 志郎
出版者
東京女子大学
雑誌
史論 (ISSN:03864022)
巻号頁・発行日
no.3, pp.161-168, 1955
著者
斉藤 慎一
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.73, no.1, pp.161-179, 2022-09-30

Dutton and Aron’s (1974) suspension bridge experiment is one of the most renowned studies in the field of psychology related to romantic love. Their study has been frequently mentioned in popular psychology books and on Internet sites, but these sources often oversimplify the results of the experiments and thus mislead readers. Based on the numerical values reported by Dutton and Aron, this study reproduced their data and reanalyzed it in order to find out what their experiment actually revealed. In addition, this study examined whether Dutton and Aron’s interpretation of their results was convincing.Dutton and Aron(1974)による揺れる吊り橋を使った実験は、恋愛に関する心理学的研究の中で最も有名なものの一つであろう。一般向けの書籍やインターネットのサイトなどで俗に「恋の吊り橋効果」などと呼ばれているものの元になった研究であるが、多くの場合内容が断片的にのみ取り上げられ、また結果が過度に単純化されていて、読者に誤解を生み出している場合が少なくない。本論文では、Dutton and Aron(1974)に報告されている数値から彼らが使用したデータを再現し、データの再分析を行いながら、揺れる吊り橋を使った2つのフィールド実験について詳しく解説し、彼らの実験から実際に何が明らかになったのかを検証した。また、Duttonらが仮説を立てる際に依拠した理論の一つに、Schachter and Singer(1962)の情動2要因理論があるが、本論文ではDuttonらの結果の解釈の妥当性についても検討した。
著者
國原 美佐子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.44, no.2, pp.27-53, 1994-03-16

The purpose of this paper is to consider the establishment of the tosenbugyo 唐船奉行 to regulate foreign relations, and the reason why Ino-Yamato no kami-Sadatsura 飯尾大和守貞連 was appointed as the first tosenbugyo. In the fourth year of Eikyo 永享 (1432), the diplomatic relations, which featured the tally trade (勘合貿易) between Japan and the Ming dynasty and were discontinued after the death of the third Muromachi shogun Ashikaga Yoshimitsu 足利義満, were then restored by the sixth shogun Ashikaga Yoshinori 足利義教. After Yoshinori's time, the totosen 渡唐船 (the fleet of the ships from Japan to Ming China) consisted of the ships belonging to three different kinds of owners: the Muromachi shogun, temples, and the shugo daimyo. According to Mansai Jugo Nikki 満済准后日記, the system of the tosenbugyo was established in 1434 (永享6年) to mediate all the business about the tally trade between the ship managers, the gozan-monks 五山僧, and the Muromachi shogun as monarch of Japan. The first main (tanto) tosenbugyo was Ino Sadatsura, who was the bugyonin (one of the shogun's executive officers) in the Muromachi period. The Ino family, especially the Yamato branch, the Kaga branch, and the Hizen branch, were influential among bugyonin called gozen satashu 御前沙汰衆 (direct judges), and were promoted by the Ashikaga shoguns. The main tosenbugyo and the sub tosenbugyo (aibugyo) were appointed from the three branch of the lno family for generations. The tosenbugyo's regular work can be devided as follows: (1) to defend the trading ships around Japan, (2) to procure export goods, (3) to mediate among the Muromachi shogun, the ship managers and the Gozan-monks (4) to manage the tallies. In addition, Ino Sadatsura also conducted negotiations with the diplomats of the Li dynasty as a representative of the Muromachi shogunate. It had been impossible for a government official to deal with the diplomatic issues during the Yoshimitsu's reign. The diplomacy of the Muromachi period particularly valued the trade and it affected domestic politics. Tosenbugyo did not play such an active part in Muromachi diplomacy as the Gozan-monks did, but it is significant that the Muromachi shogunate was the first organization to appoint the executive officers of the samurai class to high positions in its diplomatic organization.
著者
羽下 徳彦
出版者
東京女子大学
雑誌
史論 (ISSN:03864022)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.1-18, 1973
著者
芝 健介
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学比較文化研究所紀要 (ISSN:05638186)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.67-88, 2001

1995年にドイツの代表的週刊誌『シュピーゲル』は、そのニュルンベルク裁判50周年特集号に「勝者の裁き」という見出しをつけた。すでに1985年の40周年特集号で同誌は、カイテルやリッベントロップ、フリック等、死刑判決を受けた被告の、刑執行直後の遺体写真をセンセーショナルにとりあげ、「時代の犠牲者」というメッセージを暗示していた。こうした見方、扱い方は、日本ではさらに激しく表示され、1996年の東京裁判50周年のシンポジウム(『争論・東京裁判とは何だったのか』築地書館、1997年参照)では、ナチ体制の犯罪、わけてもホロコースト(ユダヤ人絶滅政策)が、日本の「通常の」戦争犯罪と比較し、類をみぬ犯罪であったにもかかわらず、ニュルンベルク裁判よりも厳しい判決が東京裁判では下された、というイメージが参加者の想起するところにはかならないことも判明した。いずれにしても、裁判への強い関心とはうらはらに史上未曾有の大規模な戦犯裁判自体の意義は、おしのけられがちで、歴史のテーマとしても貶価されがちだったことは否めない。最近まで、ニュルンベルク裁判と東京裁判との比較も、本格的系統的におこなわれるようなことはほとんどなく、なされても副次的なこころみにすぎなかったのが実情である。東京裁判はニュルンベルク裁判をモデルとしながらも、それとは重大な相違を帰結することになった。小稿では、ヨーロッパと「極東」の両戦犯裁判の間に横たわるこの重大な差異についてさまざまな角度から特徴づけることを念頭におきながら、(1)戦犯裁判の成立過程(裁判憲章と構成)、(2)連合国の戦犯追及政策への枢軸側の対応、(3)なぜ多くの犠牲者の問題がなおざりにされたのか、わけても「アジア」の民衆被害者の貶価の問題、(4)判決と裁判証拠・ドキュメント史料の4点にわたって比較検討吟味した。小稿は、比較文化研究所総合研究プロジェクト・近現代における戦争終結過程の研究(松沢哲成教授主宰)に参加した筆者のささやかな成果であるが、2000年5月17日夕、ボーフム(ルール大学)でおこなったドイツ語の講演を基本的に再録したもので、このようなテーマで話す貴重な機会を筆者にお与え下さったノルベルト・フライ教授Professor Dr・Norbert Frei, Neuere und Neueste Geschichte an der Ruhr-Universitat Bochumに心から感謝申し上げる。また同大学日本学科のレギーネ・マティーアス教授Professorin Dr. Regine Mathiasはじめ、鋭い質問を投げかけ、熱心に耳を傾けて下さった方がたにも感謝申し上げたい。なお付表Anhang Aは、ニュルンベルク国際軍事裁判と12のニュルンベルク継続裁判の計199名の被告に対する判決一覧で、継続裁判で首席検察官をつとめたテーラー准将の、今ではなかなか入手しがたくなった著書Telford Taylor, Die Nurnberger Prozesse, Zurich 1951,S. 160-166.から再録させていただいたが、たとえば最初のへルマン・ヴイルへルム・ゲーリングの場合、ゲーリングが日本流にいえば姓Familiennameであるから、本来ならばGoring, Hermann Wilhelmとコンマを挿んで(フォンを称号にしている人の場合、たとえばヨアヒム・フォン・リッベントロップの場合も同様にvon Ribbentrop, Joachimと)表記しなければならない。しかし原頁尊重からオリジナルのままとしたので御注意いただきたい。Anhang Bは、東京裁判25名の被告に対する判決一覧で、折しもドイツ滞在中だった筆者作成のものであるが、関東(Kwantung)軍、張鼓峰(Changkufeng)事件、ノモンハン(Nomonhan)事件等の欧文表記法について東京から懇切に御教示いただいた松沢哲成教授にも感謝申し上げたい。
著者
国原 美佐子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.48, no.2, pp.1-37, 1998-03

Dieser Aufsatz handelt von den Badegewohnheiten im Daigoji-Tempel im 15. Jahrhundert. Das Tagebuch Mansai Jugo Nikki (満済准后日記) vom Autor Mansai, der ein hervorragender Priester in der Muromachizeit und auch ein berumter Vorsteher des Daigoji-Tempel war, besagt folgendes: 1. Kami-Daigo (上醍醐) und Simo-Daigo (下醍醐) haben jeweils einige Bader. 2. Vor jedem buddistischen Ritual baden Monche. 3. Am 4. Januar und zweimal pro Monat (am 14. und am 28.) baden alle Monche und Laien des Simo-Daigos im gemeinschaftlichen Bad (惣寺風呂). Dabei baden sie ihrem Stand nach auf den Ruf der Glocken hin. 4. An den Todestagen der Vorganger nehmen die Monche als Erinnerung das Bad im Bodaiji-Tempel (菩提寺) oder im gemeinschaftlichen Bad. 5. Mansai als die Gaste wird ab und zu von anderen Monchen mit Speisen und Baden unterhalten.
著者
有賀 美和子
出版者
東京女子大学
雑誌
東京女子大学紀要論集 (ISSN:04934350)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.185-203, 1995-09-20
著者
湯川 やよい
出版者
東京女子大学
雑誌
挑戦的研究(萌芽)
巻号頁・発行日
2017-06-30

本研究は、非触法ぺドファイル(子どもを性的な対象とする小児性愛者のうち、性加害を実行したことがない人々)の実態を、当事者の語りから読み解く仮説生成型の研究である。2年目にあたる2018年度は、特に(1)前年度の国内調査についての海外発表(中間報告)、(2)海外調査、(3)関連領域における調査法関連での文献調査とまとめ、(4)国内での継続調査を行った。まず、(1)については、国際社会学会(7月、トロント)において報告を行った。日本国内の非触法ぺドファイルの自己形成が、北米中心に発信される診断文化の文脈とセクシュアリティのポリティクスの交差のなかで独自の位置取りを占めることを報告し、当該テーマにおいて先駆的な実践が報告される西欧非英語圏で活動する関連研究者と議論できたことは、貴重な成果と言える。また、ナラティブ分析の方法という観点から英語圏言説の分析を行った論文を共著『自己語りの社会学』に収録した(8月に出版)。(2)については、米国フィラデルフィアおよび米国シアトルにおいて、関連研究者とのディスカッションおよびフィールド調査を行った。現地の運動当事者との面会は実現しなかったものの、関係者への間接的な調査は行うことができた。(3)については、周辺関連領域における性的マイノリティ一般の調査技法にかんする論稿をまとめ、発表した(和文、2019年3月)。また、(4)国内調査についても継続インフォーマントへの聞き取りを行っている。
著者
三笠宮 崇仁
出版者
東京女子大学
雑誌
史論 (ISSN:03864022)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.293-308, 1957

11 0 0 0 OA 増鏡の文芸性

著者
鈴木 孝枝
出版者
東京女子大学
雑誌
日本文學 (ISSN:03863336)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.12-31, 1968-10-01
著者
田辺 久子
出版者
東京女子大学
雑誌
史論 (ISSN:03864022)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.1-11, 1975