著者
辻善之助 編
出版者
三教書院
巻号頁・発行日
vol.第7巻 尋尊大僧正記 88-105, 1936

言及状況

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https://t.co/glmzGaysdN の41コマと https://t.co/Cb2Cj6V4QF でも厚くんは7年後に六角征伐へ出陣しているから、この時は無事に見つかったってことだよね
見開きの中央の破れかかった行、下のほうに小さい字でごちゃごちゃのところ。「公方御腰刀厚藤四郎粉(紛)失事…」と書いてあるらしい。私は読めませんw 心配ご無用、翻刻本もあるよ。↓右ページ上。 https://t.co/Cb2Cj6V4QF #文明12年足利宝刀盗難
国立国会図書館デジタルコレクション - 大乗院寺社雑事記. 第7巻 尋尊大僧正記 88-105 - https://t.co/MpG93D9M7O 「大乗院寺社雑事記」文明12年の5月24日
参考資料はhttps://t.co/22xOyIZsXO https://t.co/uXiMRCulMb
また、大乗院寺社雑事記文明十一年十月の記事では、成身院順宣が、3日から鹿背山に出張し、16日に中川寺へ移ったことが書かれています。https://t.co/ULumLPjE7G https://t.co/XPqNiLfKiE
原文は刊本の『大乗院神社雑事記』では第七巻の四九四頁にある。 https://t.co/gqckN3qLUP 「去年冬事歟、一向宗息大谷狂乱、天狗来テ相語(以下略)」とある。本願寺のことを指しているとすれば当時の門首は蓮如で、文明十五年には長男の順如が四十二歳で没している。
原文)七月十九日/明日筒井順尊・箸尾爲國・十市遠相・成身院順盛等、率人勢可入自分之館之由必定旨云々、多武峯寺同心合力云々、自明日天一天上也、且如何、不得其意者也、自國他國相語之云々、http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/JDkOL2RfRX
ということで、中川寺焼亡を記録した大乗院寺社雑事記「文明十三年七月廿一日 今曉大雨下、日中晴、夕部雨下(明け方大雨降る、日中晴れ、夕べ雨降る)」の記事を、こう現代語訳してみました。 http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/G8rN2Wp4uU
書き忘れてましたが、大乗院寺社雑事記の文明十三年七月廿一日の記述です。http://t.co/7cbvVbRAMO http://t.co/Cztv96z37G
この記述↓の読み下しと現代語訳にチャレンジ中です。おわかりになる方お助けください。文中にある地名や人名についても、ご教示いただけましたらありがたいです。よろしくお願いしますm(_ _)m。https://t.co/8lzIdAnx8e http://t.co/7cbvVbRAMO
ということで、漢文苦手なので、途中何言っているのかよくわかりません(^^;。中川寺が焼けた時の解説では「寺内の争いから」としているものもあったのですが、そういうニュアンスはあまりないような、あるような。。。元記事はこちら>http://t.co/7cbvVbRAMO
インターネットすごいなあ。こんなものまで読めるとは! 文明13年(1481)7月、中川寺が焼亡したときのことが書かれています。>近代デジタルライブラリー - 大乗院寺社雑事記. 第7巻 http://t.co/7cbvVc9K0W http://t.co/m7tmk3XUdE

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