8 0 0 0 OA 続群書類従

著者
塙保己一 編
出版者
続群書類従完成会
巻号頁・発行日
vol.第29輯ノ下 雑部, 1926

言及状況

外部データベース (DOI)

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醍醐地蔵院日記 醍醐寺清浄光院住持であった房玄の日記。房玄法印記とも。 ・正平3年/貞和4年(1348年)1月~10月 貞和四年記 https://t.co/x0f8sUFER5 ・正平6年/観応2年(1351年)1月~9月 観応二年日次記 https://t.co/VXu4rcwE5J
醍醐地蔵院日記 醍醐寺清浄光院住持であった房玄の日記。房玄法印記とも。 ・正平3年/貞和4年(1348年)1月~10月 貞和四年記 https://t.co/x0f8sUFER5 ・正平6年/観応2年(1351年)1月~9月 観応二年日次記 https://t.co/VXu4rcwE5J
かんもんぎょき【看聞御記】 後崇光院(伏見宮貞成さだふさ親王)の日記。四四巻(目録・別記・御幸記を含む)。1416年から48年までの朝廷の諸行事、当時の政治・社会の動静などを記す。室町中期の基本的史料。看聞日記。 続群書類従 卷第八百六十九 p210 https://t.co/z1UWtXaZS7
索引きっかけで見直してて気づいたけど、擾乱第一幕で高重茂が義詮に従っていたとする史料は房玄法印記(醍醐地蔵院日記)の観応二年日次記の記述かな。 https://t.co/McziAyfoG8 「高駿河守ヲ始メトシテ」とあるし、房玄視点だと義詮の筆頭家臣のように映ってたっぽいな。
無かったわ。。 https://t.co/ZcLHB9iUV9
『続群書類従』雑部『享禄以来年代記』 https://t.co/qRuz3T5KUu 慶長2年、去年に漂着した南蛮船が修理を終えて出港。太閤から米千石、饂飩粉五百石が贈られた。 https://t.co/MyJIOwJdmq 慶長10年、12月15日、八丈島あたりに一夜にして山が生ずる。 慶長11年、日本全国で竹に実がつき枯れる。
『続群書類従』雑部『享禄以来年代記』 https://t.co/qRuz3T5KUu 慶長2年、去年に漂着した南蛮船が修理を終えて出港。太閤から米千石、饂飩粉五百石が贈られた。 https://t.co/MyJIOwJdmq 慶長10年、12月15日、八丈島あたりに一夜にして山が生ずる。 慶長11年、日本全国で竹に実がつき枯れる。

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編集者: 松茸
2020-07-19 23:38:35 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: Pons7
2015-08-19 07:11:20 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: Pons7
2015-08-19 07:11:20 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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