8 0 0 0 OA 左経記

著者
源経頼 著
出版者
日本史籍保存会
巻号頁・発行日
1915

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (8 users, 11 posts, 13 favorites)

@e_ikuon ①「亡国」に関する下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFUJyA ②上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3sNquA になります。 #亡国 #平忠常の乱 #小右記 #左経記
@santetsuzoku 「亡国」に関する 下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFCAks その他に、 上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3t4twA になります。
陰陽師中原恒盛の招魂「魂喚」は儒教の「礼記」が元というけど、本文 https://t.co/r5P3QZbElU には特に書いてない。 https://t.co/oQwVhWwzmL
@Keiya_Takahashi 左経記の、陰陽師中原恒盛1025年の魂喚は、それらに入るのでは? https://t.co/HAAVRfmIac
陰陽師の中原恒盛が1025年に行った魂喚 https://t.co/r5P3QZbElU は明経博士の清原頼隆が「有本條」と回答し祓えを負わず。それは儒教の「礼記」が通説の様子だけれど「以内侍殿御衣修魂喚」だから御衣振動で魂をまねく(痲禰久)わけで、布留の。
左経記 長元七年十一月三十日(1035) http://t.co/yDjpESOKjZ 「参御堂」の記事で僧衆のリストに「慈(覚門徒) 堪円」とあるのがその人であると岩波新日本古典文学大系にある(ただし11月下旬から西暦は1035年になっている)。

収集済み URL リスト