秦野 秀明@「埼玉凸凹地図」監修 (@Wpl0JWzdw688IBR)

投稿一覧(最新100件)

RT @VSJ_Kazan: 【雑誌火山 68巻3号 p. 189-196】 福島県,吾妻—浄土平火山の1893年明治噴火はマグマ放出を伴っていた:燕沢火口列周辺に分布する巨大な火山弾の古地磁気年代測定による推察(長谷川・他)※以下スレッドに、著者コメントあり https://…
撮影:2005年9月23日 #定義森林鉄道 #方丈橋 跡 宮城県仙台市青葉区宮城町 出典: 安達 實・本江 裕之・金森 範孝・北浦 勝(2002)「東日本における木造方杖橋の構造形態について」『土木史研究』第22号 pp.241-246 https://t.co/Rr3CAqcW03 https://t.co/ykA4t0TzGU
昨今、#関宿周辺の河川普請 の話題がSNS上で大変話題となっているようです。 そこで、8年前に出された論文ですが、戦国時代後半も含めた #関宿 周辺の河川普請について、以下に紹介致します。 #松浦茂樹(2015)「関宿から利根川東遷を考える」『水利科学』59巻1号 pp.27-56 https://t.co/AT4QlPLBTZ
RT @prapanca_snares: 小林信彦「空海のサンスクリット学習」 https://t.co/JDtUU1yPz4 空海は、サンスクリット語をほとんど学習していなかったし、読めもしなかったと論じる火の玉ストレートすぎる論文を読んでいます(論文の趣旨とはズレる注の補…
@GO56048037 久保 純子(2023)「河川と平野の地形からみえること─利根川・荒川下流低地を例に」『第四紀研究』62巻2号 pp.47-60 https://t.co/7iw67pI1WC では 古墳時代でも「利根川」が「荒川低地」を流下していた可能性を示唆しています。
RT @santetsuzoku: 興味深い論文を発見。大雨の時だけに、一層興味高まる。 第3章 神社の立地と地形および災害との関係に関する研究 : 常陸国と下総国の事例 https://t.co/ApJ6o4EHV6
出典: ①久保 純子(2023)「河川と平野の地形からみえること─利根川・荒川下流低地を例に」『第四紀研究』62巻2号 pp.47-60 https://t.co/7iw67pI1WC ②注(1)出典: 久保 純子(2023)「(総論)平野の地形と遺跡立地-変化する環境と人々の活動-」『考古学ジャーナル』No.723 pp.3-4 #荒川低地 #利根川
参考論文: 安達 實・本江 裕之・金森 範孝・北浦 勝(2002)「東日本における木造方杖橋の構造形態について」『土木史研究』第22号 pp.241-246 https://t.co/cQWH5EXEXn #木造方杖橋 https://t.co/vWiAi91V3c
@hira_sail @TORUSuzuki10 @e_ikuon ご存知のように小暮(2011)以外では 田辺晋(2019) https://t.co/JY6uwfD0EQ に代表されるように5ka以降には、利根川は荒川低地から中川低地へ河道を移動させたとする推定が有力です。 その状況で中川開析谷の縁辺部に西から東へ泥質砕屑物が堆積したようです。
RT @Wpl0JWzdw688IBR: @hira_sail @TORUSuzuki10 @e_ikuon 氷期における山地の侵食の活発化や海水準変動と絡めての説明でしたら、以下がお勧めです。 出典: 須貝 俊彦・松島(大上) 紘子・水野 清秀(2013)「過去40万年間の関…
@hira_sail @TORUSuzuki10 @e_ikuon 氷期における山地の侵食の活発化や海水準変動と絡めての説明でしたら、以下がお勧めです。 出典: 須貝 俊彦・松島(大上) 紘子・水野 清秀(2013)「過去40万年間の関東平野の地形発達史-地殻変動と氷河性海水準変動の関わりを中心に-」『地学雑誌』122巻6号 pp.921-948 https://t.co/cRNW6Zlwdj #MIS https://t.co/ZpVrqqlqPW

8 0 0 0 OA 左経記

@e_ikuon ①「亡国」に関する下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFUJyA ②上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3sNquA になります。 #亡国 #平忠常の乱 #小右記 #左経記

4 0 0 0 OA 小右記

@e_ikuon ①「亡国」に関する下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFUJyA ②上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3sNquA になります。 #亡国 #平忠常の乱 #小右記 #左経記
出典: 久保 純子(1988)「相模野台地・武蔵野台地を刻む谷の地形 風成テフラを供給された名残川の谷地形」地理学評論 Ser.A 61巻1号 pp.25-48 https://t.co/pDRzoiqHvv
@muzzle2020 出典:国立国会図書館デジタルコレクション 『新編武蔵風土記稿』 https://t.co/zh6uiH3Cn2 コマ番号 62/97
@HydraulicHistor ①国立国会図書館デジタルコレクション 『新編武蔵風土記稿』巻之203 埼玉郡之5 https://t.co/thcxg5F6V9 袋山村 附持添新田 の「コマ番号」は「14/116」です。 ②他に『武蔵国郡村誌』も基本史料となります。
@medieval_oota 以下のような内容になります。 https://t.co/fLTKmbVNEm 喜多村 俊夫(1944)「書評」『社会経済史学』13 巻11-12 号 pp. 1167-1174

35 0 0 0 OA 姓氏家系大辞典

RT @Wpl0JWzdw688IBR: @miboroty 貴重な情報をありがとうございます。 太田亮(1963)『姓氏家系大辞典』角川書店 を、全巻所有しておりますが、 『寛政重修諸家譜』等に基づく、 各地の「杉浦氏」の情報が掲載されております。 国立国会図書館デジタルコレ…

35 0 0 0 OA 姓氏家系大辞典

@miboroty 貴重な情報をありがとうございます。 太田亮(1963)『姓氏家系大辞典』角川書店 を、全巻所有しておりますが、 『寛政重修諸家譜』等に基づく、 各地の「杉浦氏」の情報が掲載されております。 国立国会図書館デジタルコレクションでも閲覧可能です。 太田亮(1942)『同』国民社 https://t.co/z9LF1stQIU

156 0 0 0 OA 姓氏家系大辞典

@sodefuru 『姓氏家系大辞典. 第1巻』 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/FT4cJQa2Qh 「江面」姓の記載はございませんでした。
RT @Wpl0JWzdw688IBR: @nakatukasadayo 貴重な情報をありがとうございます。 ご教示頂いた史料は全く存じ上げませんでしたが、 日野市史編さん委員会編(1993)『日野市史 史料編 高幡不動胎内文書編』 に所収されているようで、 本郷和人先生も書評…
@nakatukasadayo 貴重な情報をありがとうございます。 ご教示頂いた史料は全く存じ上げませんでしたが、 日野市史編さん委員会編(1993)『日野市史 史料編 高幡不動胎内文書編』 に所収されているようで、 本郷和人先生も書評を寄せられております。 https://t.co/yGQeQKpjTi ご教示頂き、重ねて御礼申し上げます。
RT @jibansaigai: 私の元々の専門分野の論文→「常陸台地の第四系下総層群の層序と堆積システムの時空変化」 現在の関東平野が広く海となり、今の関東平野の原型を作ったといえる、約12.5万年前の温暖期。 それ以降に、関東平野の地層や地形がどう形作られていったかという…

8 0 0 0 OA 左経記

RT @Wpl0JWzdw688IBR: @santetsuzoku 「亡国」に関する 下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFCAks その他に、 上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日…

4 0 0 0 OA 小右記

RT @Wpl0JWzdw688IBR: @santetsuzoku 「亡国」に関する 下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFCAks その他に、 上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日…

8 0 0 0 OA 左経記

@santetsuzoku 「亡国」に関する 下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFCAks その他に、 上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3t4twA になります。

4 0 0 0 OA 小右記

@santetsuzoku 「亡国」に関する 下総国司の報告の出典は、 藤原実資『小右記』長元四年三月一日の記事 https://t.co/SVjWwFCAks その他に、 上総国司の証言の出典は、 源経頼『左経記』長元七年十月二十四日の記事 https://t.co/kiwI3t4twA になります。
@hira_sail 平帆(ひらほ)さん、いこ~さん、ありがとうございます。以下の素晴らしい論文に巡り逢うことができました。 村西 眞澄(2004)「東京低地北部毛長川周辺の地形環境と遺跡立地: 伊興遺跡を取り巻く環境」 『国立歴史民俗博物館研究報告』第118集 pp.93-117 https://t.co/yHsHoT9HQS
@e_ikuon 出典は、『新編武蔵風土記稿・足立郡之五』の「鳩ケ谷宿」です。 データは、「国立国会図書館デジタルコレクション」 https://t.co/dqSJIuo4eR です。 https://t.co/xHAkpI01h0
RT @Wpl0JWzdw688IBR: @hira_sail 3月にツイート致した論文としましては、 清水 康守他(2010)「荒川低地北部の地形発達」『埼玉県立自然の博物館研究報告』4 pp.55-70 https://t.co/qEf8NkC2rU 小暮 岳実(2011)…
RT @Wpl0JWzdw688IBR: @hira_sail 3月にツイート致した論文としましては、 清水 康守他(2010)「荒川低地北部の地形発達」『埼玉県立自然の博物館研究報告』4 pp.55-70 https://t.co/qEf8NkC2rU 小暮 岳実(2011)…
@hira_sail 3月にツイート致した論文としましては、 清水 康守他(2010)「荒川低地北部の地形発達」『埼玉県立自然の博物館研究報告』4 pp.55-70 https://t.co/qEf8NkC2rU 小暮 岳実(2011)「荒川低地へ向かった後期完新世の利根川旧流路」『地学雑誌』120(4) pp.585-598 https://t.co/gP2tvJkIQM
@hira_sail 3月にツイート致した論文としましては、 清水 康守他(2010)「荒川低地北部の地形発達」『埼玉県立自然の博物館研究報告』4 pp.55-70 https://t.co/qEf8NkC2rU 小暮 岳実(2011)「荒川低地へ向かった後期完新世の利根川旧流路」『地学雑誌』120(4) pp.585-598 https://t.co/gP2tvJkIQM

お気に入り一覧(最新100件)

【雑誌火山 68巻3号 p. 189-196】 福島県,吾妻—浄土平火山の1893年明治噴火はマグマ放出を伴っていた:燕沢火口列周辺に分布する巨大な火山弾の古地磁気年代測定による推察(長谷川・他)※以下スレッドに、著者コメントあり https://t.co/3tT7dLHmYd https://t.co/3cw1QTZbHy
小林信彦「空海のサンスクリット学習」 https://t.co/JDtUU1yPz4 空海は、サンスクリット語をほとんど学習していなかったし、読めもしなかったと論じる火の玉ストレートすぎる論文を読んでいます(論文の趣旨とはズレる注の補足箇所などには、小林先生自身の極端な主張も目につきますが……)。
興味深い論文を発見。大雨の時だけに、一層興味高まる。 第3章 神社の立地と地形および災害との関係に関する研究 : 常陸国と下総国の事例 https://t.co/ApJ6o4EHV6
「日本地理学会賞(優秀論文部門)」これまでの受賞論文からご紹介します。 福井幸太郎ほか 「飛騨山脈で新たに見出された現存氷河とその特性」 https://t.co/bYrafVBjJa https://t.co/MufmbSikGf
全面公開になったようだ。 https://t.co/ILkmkhVAl0 https://t.co/VSnV4xuGKt
物質が火山灰であるからといって火山噴火で降り積もったことにはなりません。ロームも、クロボクも、風塵すなわちレスであると1995年に論じました。毎春吹く強風で、裸地から舞い上がって近くの森や草地に集積しました。火山地域の風塵の主体は火山灰になります。 https://t.co/MB6laQSBgO https://t.co/GYtPHTooLs
日本物理学会誌は宝の山。これ読みたい。 https://t.co/T0ueG5zGGZ 「削除しても文意の変わらない語句は全て冗長」。誇張語の使用は「野心に満ちた若い科学・技術者が初めて成功を経験した場合に使いやすい表現」。SNSは悪文であふれている。その倍は良文をよむべし。
探してたあの論文をようやく見つけた https://t.co/UZXh1FjBnB https://t.co/GrIjiUS9gM
>RT 茅ヶ崎のものは造立年不明とされてることが多いですね。 ここで名前があがってる横須賀の二基は前に見てきました https://t.co/7bnTmc1AU5 https://t.co/NmlzHv6dAa
【論文出版】私にとって初めての論文が地質学雑誌から出版されました。那須火山群の最北部に位置する二岐山火山の噴火史とマグマ供給系を明らかにしたものです。地質学、岩石学的手法に加えて熱ルミネッセンス年代測定も行っています。 https://t.co/GVXiYKTBl6 https://t.co/bvS9hNRLpf
@Wpl0JWzdw688IBR @e_ikuon @hira_sail 久保純子さんの『三郷市史』を11年さかのぼる論文
@hira_sail @e_ikuon @Wpl0JWzdw688IBR 海退の経過は よく解りませんが、近世までは埼玉県北葛飾郡松伏町辺りまで “ヒタヒタ” でしたので、弥生時代中期までは海岸線は深かったかもしれませんね
と、思っていたら、 https://t.co/Xn37O4HEvx 鎌倉府奉公衆を抽出した大論文がネットに。これは助かります。
興味深い論文が出た。 河川と平野の地形からみえること─利根川・荒川下流低地を例に https://t.co/g8t5AUAzDw
@e_ikuon @hoshitomita 村上(2012)にも「森林流域と森林のない流域の年間河川流量を比較すると,森林流域で流量が少ないことは現在では森林水文学の常識となっている」とはっきり書かれておりました.https://t.co/LNGAiekUxl
@e_ikuon 新編武蔵風土記稿 「越ヶ谷宿」もともと「越ヶ谷町」があったのを、大澤町と併せて「越ヶ谷宿」とした模様。元荒川と出羽堀というのも登場しますが、この時代から「元荒川」表記なのですね。元荒川には境坂橋が架かっていた模様。 https://t.co/xUsG4MfHO9
@e_ikuon @Wpl0JWzdw688IBR 亀レスですが、『東京人類學會雜誌』に浅間社古墳(仙元祠古墳)の踏査記録が掲載されています。田端駅から安行村猿貝々塚へ採取に行く途中に鳩ヶ谷町で小山の如き森が仙元祠古墳だったとう内容です。 https://t.co/oY2TSuUW3L
J-STAGE Articles - 大宮台地における伝統客土「ドロツケ」による人為的土壌生成とその農業的意義 https://t.co/PL6hlAis5q
今はこれ読んでる 荒木田岳『「大区小区制」下の町村合併と郡区町村編制法 : 明治初年における町村の合併・連合と戸長管区制』 https://t.co/8cdwwfS4Ik
読めたら読みたいけどたぶん間に合わなそうな論文達 井戸庄三「明治地方自治制の成立過程と町村合併」 https://t.co/WuuihHnhbY 井戸庄三「明治初期の大区小区制の地域性について」 https://t.co/Zyy9zsLtDp 福田勇助「明治地方制度形成期のムラと行政村」
磐座は依代であるという言説は今も通説ですが、民俗学や祭祀考古学の分野では、もうそれは過去のものとなりつつあります。 オンライン上に論文も公開されているので、今後はこの議論を通過して述べる必要があります。 時枝務氏「神道考古学における依代の問題」(2015年) https://t.co/g6xKEQv5te
@e_ikuon その一帯も(私が勝手に)注目の千葉段丘のようですね。杉原(1970)の黒塗り部分。https://t.co/qftpFnvONg https://t.co/SEZzkoHX2W
深作などの綾瀬川低地の水環境は、利根川、荒川の流路変遷と深い関わりがあったようです。 両河川は、古墳時代頃から、人工的な瀬変えを含めて、たびたび流れを変えてきました。 綾瀬川低地は、その重要な流下路の一つだったようです。 綾瀬川の歴史と現状 https://t.co/yv0NH2LQU8 https://t.co/MZKxMTpmG3
歌川広重「東海道五十三次」と同じアングルで、大正時代に写真を撮った、大正7年『東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照』から平塚宿。ストリートビューを追加。山は高麗山。 国会図書館デジタルコレクション https://t.co/Yy7TIQ8PCC https://t.co/nYRJr9zjjb
大陸移動説のヴェーゲナーの死を伝える1932年の地学雑誌の記事。日本でも相当有名だったようだ。戦前まで、「ヴェーゲナー」以外に、ウエーゲネル、ウエゲーネル、ウエゲネルなどの表記があった。 地学雑誌 1932年 44 巻 10 号 https://t.co/vGKxbzX0Ey https://t.co/tgVHDOpXGE

23 0 0 0 OA 武江年表

安永を安政と書いてしまったので再投稿。江戸の記録『武江年表』で、安永3年「この冬寒気つよく、両国川氷りて巳刻まで舟の往来絶しことあり」との記述。両国川は隅田川で、今では凍結するとは考えられないが、江戸時代は寒かった。 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/WPaFsNaQ9J https://t.co/TaXx0Nf4qZ
古文書にもとづいて古民家の床下の土から硝石をつくる実験をしたらしい。 https://t.co/4sBIhWSRU4 「煙硝づくり『古土法』の史学調査と実験的検証について」(薬史学雑誌 54(2)、2019)
https://t.co/O6KjfnMzLi 科研費研究「金沢北条氏領下総国下河辺庄の総合的研究」が興味を引きます。 「下河辺庄は荒川・利根川・大井川(太日川)の三本の河川が集まる水上交通の要衝という物資輸送の利便性を持つが、それは同時に、肥沃な土壌が継続的な供給される生産性の高い水田地帯…
なんと、原田信男 先生の『中世村落の景観と生活』が、国立国会図書館デジタルコレクションで読めます! 書籍化前の”博士論文”が公開されているのです(筆者承諾済)。 ひとまず、ばーっと読んでみました。 高島緑雄先生の『関東中世水田の研究』と併せ、見えてきました! https://t.co/UGClzRA5ig https://t.co/H0KhPeifms
「下総地方史の発掘」では、参考にしているもう一つの文献が印旛郡誌。大正2年の文献で、印旛が細かい村々に分かれていた時代の各地域の地理歴史がまとめられている。現在は国会図書館のデジタルコレクションで閲覧出来て驚く。https://t.co/zdnYx4lALV
千葉県印西市の別所探訪。台地の上に登った地点Bあたりはわずかな人家があるものの、ほとんど畑。畑の向こうの森の中で、さらに高さを上げた台地面は杉原(1970)によると下総上位面。下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/A6G15XxLuC
木下貝層や大宮台地の硬砂層のように、最終間氷期以降の堆積物でも、石材代わりに使える程度の硬さがあるというのが意外。こちらでは、硬砂層は古東京湾海退期に河畔砂丘的に堆積したものとしている。 J-STAGE Articles - 大宮台地に分布する硬砂層の性質と堆積環境 https://t.co/8do6sP31Dl

25 0 0 0 OA 鎌倉持氏記

小国浩寿先生の『永享記』と『鎌倉持氏記』の比較論を読むと、『鎌倉持氏記』を読んでいないのはマズイと思い始めました。 国立国会図書館のデジタルアーカイブで読めそうですね。 https://t.co/pa8UxelJVs
木下貝層が露出する地域がわかりそうな文献はこのあたりかな。コンクリート社会になる前の時代には千葉県北部~茨城県南部に結構露頭があったかもしれない。 関東平野東部,下総層群の層序と貝化石群のまとめ https://t.co/IPi3D0vWtF
私の元々の専門分野の論文→「常陸台地の第四系下総層群の層序と堆積システムの時空変化」 現在の関東平野が広く海となり、今の関東平野の原型を作ったといえる、約12.5万年前の温暖期。 それ以降に、関東平野の地層や地形がどう形作られていったかというお話しです。 https://t.co/V7jwNO7p2e https://t.co/lX9y9ysXlI
多分これの点線部分の話(回転しながら浮き上がった)だと思うんですが、てっきり、浮き上がりつつも侵食されたので、今と姿は対して変わらないのかと勝手に思ってたら・・・? https://t.co/0cbPm7Bphd https://t.co/8vzsUhOK9V https://t.co/04l8nAX9Wd
大宮台地にもある、難透水性の常総粘土あたりからわき出してるのかなぁ。大宮台地北部の大宮層におけるテフラ層序と堆積環境 https://t.co/cdxoX5jhMk
@e_ikuon 違和感ありますよね。 既にお読みと思いますが、松浦先生は2018年論文でも人工開削説のご様子。 https://t.co/G5qlifHU08
教えていただいたこちらの論文(埼玉沖積層研究G 2016 https://t.co/iaNLavEkoj)では、元荒川の台地横断部分も自然流路として扱っているようです。古墳時代後期の利根川流路ということなので、天王山塚古墳の角閃石安山岩の輸送ルートとしては納得なのですが、台地を横切るのにどうにも違和感が… https://t.co/ROxo8kLQiQ https://t.co/KAsURUReBQ
論文はダウンロードできますね。 https://t.co/KE8JvoxewP https://t.co/OL5b3noBYE
松浦先生の論文だと、浅間川が利根川本流になるのは「会の川」の締切後? 文明年間に浅間川が利根川本流だったとする『中川水系 人文』と見解異なる?? https://t.co/78ww96ogeG
小国さんのは、こちら↓の本所収の「香取社応安訴訟事件の一背景」 CiNii 図書 - 鎌倉府体制と東国 https://t.co/MjvdWcuLWK #CiNii 鍛代敏雄さんのはこちら↓ CiNii 論文 -  中世後期の寺社訴訟に関する一試論--「神訴」をめぐって https://t.co/SZ2X90LEl8 #CiNii
小国さんのは、こちら↓の本所収の「香取社応安訴訟事件の一背景」 CiNii 図書 - 鎌倉府体制と東国 https://t.co/MjvdWcuLWK #CiNii 鍛代敏雄さんのはこちら↓ CiNii 論文 -  中世後期の寺社訴訟に関する一試論--「神訴」をめぐって https://t.co/SZ2X90LEl8 #CiNii

25 0 0 0 OA 鎌倉持氏記

『鎌倉持氏記』は、『室町軍記総覧』と『高崎市史』に翻刻があるけど、国会図書館所蔵本が唯一の伝本だからその画像⬇️を見るのだよ。 https://t.co/POliq2QtKe 校訂しなおして某書の巻末付録にしようと思いついたのは後の祭り。
千葉段丘と中世村落との関係に興味を持つ。杉原1970論文で千葉段丘と分類されている段丘面を手賀沼周辺の下総台地地形図上で拾い上げると矢印のような位置にある(カシミールスーパー地形を利用)。杉原1970, 下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/uKROznhD4G
牛久自然観察の森(茨城県牛久市)のあたりの台地と低地の間の段丘面。下記の論文によると、どうやら下総台地の谷津の右岸に遍在する千葉段丘と同様の分類ができるようだ。下総台地西部における地形の発達https://t.co/AaLxJEoz89
熊谷扇状地、利根川、荒川入り乱れてすごいことになってます。(綾瀬川の歴史と現状 https://t.co/VMjZwwyuEz より引用) https://t.co/mcLd39R8nQ
メモ:中川低地の利根川 荒川の流路関連 荒川低地へ向かった後期完新世の利根川旧流路 https://t.co/GAEbvkqxM8 江戸期前含む 河川からみた埼玉平野の開発 https://t.co/8U7uyYCBKJ 江戸期前含む 中川流域の治水史 https://t.co/5rwC80sgcZ 主に江戸以降
メモ:中川低地の利根川 荒川の流路関連 荒川低地へ向かった後期完新世の利根川旧流路 https://t.co/GAEbvkqxM8 江戸期前含む 河川からみた埼玉平野の開発 https://t.co/8U7uyYCBKJ 江戸期前含む 中川流域の治水史 https://t.co/5rwC80sgcZ 主に江戸以降
メモ:中川低地の利根川 荒川の流路関連 荒川低地へ向かった後期完新世の利根川旧流路 https://t.co/GAEbvkqxM8 江戸期前含む 河川からみた埼玉平野の開発 https://t.co/8U7uyYCBKJ 江戸期前含む 中川流域の治水史 https://t.co/5rwC80sgcZ 主に江戸以降
この(低いとはいっても)台地を越えていく元荒川の流路が気になっていたのだが、やはりというか、中世以前の人工開削説があるようだ。利根川東遷や荒川西遷より前の事なので、誰が何のためというのは気になるところ。  (「河川からみた埼玉平野の開発」松浦茂樹)https://t.co/KHFwGrLGu4 https://t.co/EthsObE0Vi

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