著者
楊 海英 Haiying Yang
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.39-130, 2003-07-30

「スニト部のギルーン・バートル」(Sönid-ün Gilügün Bayatur)という人物は,13 世紀のモンゴル・ハーン国時代に大いに活躍した,と年代記はそろって記述する。スニトは13 世紀の『モンゴル秘史』にも見られる有名な部族の名称である。ギルーンは名前で,バートルは「勇士」を意味する爵号である。ギルーン・バートルはまずチンギス・ハーンをまつる八白宮祭祀のなかでその存在が認められる。祭祀者たち(Darqad)にチンギス・ハーンからの恩賜を配る儀礼の場で,ギルーン・バートルの直系子孫を称する者がその祖先の功績に基づいてチンギス・ハーンからの恩賜を拝受する。八白宮祭祀のなかで,ギルーン・バートルはチンギス・ハーンに追随した「4 人のバートル(勇士)」のひとりとして位置づけられている。このような位置づけは17 世紀以降に書かれたモンゴルの年代記の記述とも一致する。 つづいて19 世紀半ば頃の清朝道光年間にギルーン・バートルはもう一度登場する。今度は八白宮の祭祀者ダルハトのひとり,ユムドルジ(Yümdorji)という人物が,自らは13 世紀のギルーン・バートルの直系子孫で,代々八白宮の祭祀者集団内のバートル(勇士)という職掌をつとめてきたと主張する。ユムドルジは税金納入をめぐってオルドスの貴族たちと対立するが,シリンゴル盟のスニト左旗の王公たちの支持をとりつけたため,ことを有利に運ぶ。スニト左旗の王公たちとユムドルジは,13 世紀のスニト部のギルーン・バートルはユムドルジの直接の祖先である,という共通した歴史的認識を有していたことから,ユムドルジを支持したのである。このように,ギルーン・バートルという13 世紀に存在したとされる人物はチンギス・ハーンの八白宮祭祀のなかでその功績がずっと認められてきただけでなく,その子孫を称する人物も広く認知されていた。モンゴルにとって,歴史あるいは歴史上の人物は決して過去のものではなく,現在を活きる存在であることが分かる。

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国立民族学博物館学術情報リポジトリ(みんぱくリポジトリ) 国立民族学博物館研究報告28巻1号 Permalink : https://t.co/52zdWUDOBU 儀礼が維持する集団の歴史的記憶 : 道光年間における祭祀者ダルハトの訴訟事件が反映する歴史観 https://t.co/5EKatIHR88
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モンゴル人はチンギス・ハーンを忘却しなかった、と私は以前に以下のような論文を「国立民族学博物館研究報告」で発表した。御高覧願います。 https://t.co/4jhgWhsRJG

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