- 著者
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菅原 祥
- 出版者
- 京都産業大学
- 雑誌
- 京都産業大学論集. 社会科学系列 (ISSN:02879719)
- 巻号頁・発行日
- vol.36, pp.75-102, 2019-03-30
本稿は,近年の日本社会における「団地」を一種のノスタルジアの対象として見るようなまなざしのあり方を「団地ノスタルジア」と名付け,この団地ノスタルジアを分析するための足がかりとなるような予備的考察を提供することを目的としている。この目的のため,本稿では1960年代当時において「団地」を文学作品の中で扱ったものとして影響力の大きかった安部公房の小説『燃えつきた地図』(1967)を現代の団地ノスタルジアに先行する想像力を含んだ先駆的作品として読み解き,そこに見出される論理が現在においていかなる意義を持ちうるのかを検討する。さらに,この『燃えつきた地図』において提起された問題が,現在の団地ノスタルジアにおいてどのような形で継承・発展させられているのかを検討するために,近年の代表的な団地ノスタルジア的文学作品として,柴崎友香『千の扉』(2017)を取り上げる。 これらの分析を通じて新たに明らかになった知見は以下の4点である。(1)団地ノスタルジアとは,「団地」という建築空間の中に,ここ数十年の時間とそこにおける断片的な記憶が寄り集まって集積するような一種の「磁場」を見出す想像力のことである。それは決して何らかの美化された過去への回帰願望ではなく,むしろそうした過去の記憶が集積した結果として存在する「現在」を志向している。(2)団地ノスタルジアは,時に徹底して「反ノスタルジア的」「反ユートピア的」である。すなわちそれは,過去に措定された「幸福な過去」へと回帰することで共同性や全体性を回復しようとするような,素朴なノスタルジアやユートピア主義とは一線を画すものであり,むしろ過去に対するより反省的・批判的な態度のありかたを示唆している。(3)団地ノスタルジアはこのような安易なユートピアへの回帰による共同性の復活を拒絶しつつ,新たな形での「共同性」を模索する想像力である。(4)この共同性は,団地という場が孕む「危機」や「空虚」から目をそむけるのではなく,逆にそれに徹底的に向き合うことから生まれうるものである。