著者
松本 和明
出版者
京都産業大学マネジメント研究会
雑誌
京都マネジメント・レビュー = Kyoto Management Review (ISSN:13475304)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.85-102, 2021-03-31

渋沢栄一の絶大なる信頼を受けてビジネスパートナーの一人として活躍し,「渋沢の股肱」(実業之世界社編輯・発行『財界物故傑物伝』1936 年)と評された,長岡出身の梅浦精一の足跡と活動について考察していきたい.梅浦は長岡藩医の脩介の長男として生まれた.脩介は長岡藩の藩医を務め,東洋,西洋医学ともに長ずる,先進的でかつ優れた漢蘭折衷医であった.梅浦は漢学にも造詣が深かった脩介の影響を強く受けて幼少期から学問への興味を抱き,刈羽郡南条村で藍沢南城が主宰していた三余堂で漢学を学び始めた.続いて,長岡藩の代表的な儒学者である山田愛之助に師事してオランダ語を学んだ.周知のとおり,山田は崇徳館の教授・都講として,小林雄七郎さらには外山脩造も指導した.雄七郎と外山は梅浦の生涯に大きな影響を与えたが,彼らとの関係構築は山田の門人となったことが大きなきっかけであった.その後,江戸に出て西洋医学を学ぶものの,学費が続かなくなり,洋学に転じた.1872 年に大蔵省に入り,A・シャンドの指導のもとで,小林雄七郎などとともに,近代複式簿記の翻訳を『銀行簿記精法』として完成させた.これの普及に尽力した1 人が外山である.1873 年には新潟県令の楠本正隆から招かれて一等訳官に着任した.あわせて楠本の主導により創設された洋学校である新潟学校の責任者を担い,学生に加えて教員にも英語を講じた.同校は新潟県の中等教育機関の嚆矢である.さらに,長岡洋学校の後継である新潟学校第一分校でも教????をとっている.

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