著者
大木 文雄
出版者
北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院 = Research Faculty of Media and Communication, Hokkaido University
雑誌
メディア・コミュニケーション研究 (ISSN:18825303)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.17-38, 2010-05-25

本稿は、プラトンの「洞窟のメタファー(比喩)」を根底にして展開する。洞窟の中で真実を知ることができない囚人たちに如何にして、真実を認識させるかというのが「洞窟のメタファー」の中心課題なのだが、現代のドイツ文学の中にそれが具体的にどのように展開されているかを探求する。まず<I-1>ではプラトンの「洞窟のメタファー」について述べられる。続いて<I-2>以降では、第二次世界大戦後のドイツ文学の中に特に明らかに「洞窟のメタファー」を想起させる作品が取り上げられる。<I-2>ではギュンター・アイヒのラジオ放送劇『夢』の中に出てくる「貨車」がプラトンの「洞窟」とどのような関係にあるか論述される。<I-3>ではハンス・ブルーメンベルクの「絶対的メタファー」が取り上げられ、それが「光のメタファー」として超越性を帯び、洞窟の人間に真実を認識させるありようについて解き明かす。<II-1>から<II-8>までは、トーマス・ベルンハルトの小説『消去』が取り上げられる。「洞窟の囚人たち」に類似する「ヴォルフスエックの家族」、それはすなわちオーストリア国民を意味するのだが、その国民たちに真実の世界を知らせるためには、主人公はどのような行動を取るかが論述される。その小説の中に語られる数々の隠喩は、国民に真実を知らせるために決定的な意味を持ってくるのだが、その隠喩の解読こそが、本稿の基調をなすありようである。<II-9>は「結び」であり、現代のオーストリアは真の平和を実現しているか、と問いかける。

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「拒絶の精神としてのメタファー」 http://t.co/3UmWMz2eEU

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