著者
北原 モコットゥナシ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.103-140, 2022-03-01

アイヌ民族を巡る諸実践の中では「アイヌとは誰か」が問われることがある。このように問うことは、同時に(あまり意識はされないが)和人とは誰かをも問うことになる。そうした当事者性は、人によっては自明のものとされ、あるいは微妙な問題とされ、正面から議論されてこなかった。特に、和人性について問うことは、しばしば強く拒絶される。また、アイヌ性についても、十分検討されたことがなく、当事者間で混乱や衝突が起こることもある。アイヌ・和人のいずれも、明確な定義はなく、またどのような定義からも漏れる者がいる可能性がある。 ただ、定義はおくとしても、マジョリティの地位に立つ者がいることは事実であり、その立場を「和人」と名づけることは重要である。そして和人性を問うことなく、議論から離脱することは、アイヌや他の民族的マイノリティが抑圧されている現状を支持することに繋がる。 こうした問題意識に立ち、本稿では3つの点を取り上げた。第1節では和人の当事者性を語ることの困難と、必要性について論じた。第2節では、アイヌの当事者性を意識させる要素について整理して例示し、家族としての(血縁を必須とはしない)繋がりが重要であることを述べた。いっぽう、体質についてのネガティブな見方や健康上の問題、貧困などは、現状では民族的アイデンティティと密接な関係にあるが、民族性を超えてより広く当事者性を設定できることを論じた。第3節では、野口(2012)の議論を元に当事者性の絶対化・相対化の意義を論じた。当事者性は固定的なものではなく、様々な局面で議論の目的によって戦略的に固定化・相対化しつつ設定される。同時に、アイヌ社会の一員であっても、当事者的要素の多くを持たないこともある。こうした多様な経験を持つアイヌの代表性を考える際、様々な属性をトータルに代表しうる者は想定しにくく、問題の局面ごとに、最も周縁に置かれている(問題に直面している)人々の声が聞かれるべきであることを述べた。 付論Aでは文化の真正性について検討した。文化的な実践の場ではアイヌ文化の「正しさ」が語られることが頻繁にあり「正しいアイヌ文化」を保持していることが、アイヌの当事者性を示すと理解されることもある。そこで、この領域の先行研究を紹介しつつ真正性を考える際の論点を整理した。 また、マジョリティによる無意識の抑圧的な言動や、当事者性をめぐって疎外が生じる局面について、具体的な事例に即して理解できるよう、当事者同士の対談を付論Bとして収録した。

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アイヌ・和人への手紙(2) アイヌ・和人の当事者性 : 付A アイヌ文化の真正性 付B 対談:アイデンティ ティ・当事者性について https://t.co/z2HEJXLhNT
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@Kokihanada3 これらもやっぱり読んではいないのですが。 アイヌ・和人への手紙(2)アイヌ・和人の当事者性 : 付A アイヌ文化の真正性 付B対談:アイデンティティ・当事者性について https://t.co/1c56ejGPWC
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