著者
北原 モコットゥナシ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.3-33, 2023-03-01

本稿では、アイヌ民族の就労・学習環境のうち、大学組織を例にマイクロアグレッションの態様と対策を検討する。大学におけるマイクロアグレッションは、教職員から同僚へ、教職員から学生へというケースに加え、学生から学生へ、学生から教職員へというケースも存在する。学生の認識が形成された過程について本稿では詳しく検討していないが、言動の内容としては教職員が発するものと酷似していること、一部に保護者や教職員を含む社会の認識を取り込んだ経験が語られていることから、学生の発話は社会全体の認識を映していることが予想される。大学を構成する者に、マイクロアグレッションのタイプや発生過程、その影響、眼前で発生した際の効果的な介入を啓発することで、予防や事後的な対応が可能になると考えられる。
著者
新井 かおり
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.173-200, 2021-03-01

昨年二〇〇九年、通称「アイヌ施策推進法」が成立し、「アイヌの人々が主体となった研究」をすることが、官民挙げての課題となった。しかしアイヌが研究の主体になることは、当時主流であった戦後史学の目的論的な、発展法則的な歴史観とはあいいれないことや、アイヌ側からの資料に乏しいなどの理由があって、特にアイヌ史研究では立ち遅れてきた。本論では90年代までアイヌの諸運動のけん引者として著名だった貝沢正のアイヌ史編さん事業について、まず本論の筆者である“私”と貝沢の関係に由来する視座と資料について述べる。そして、他に例がないほど、「アイヌ側から見たアイヌ史」に固執し、三度ものアイヌ史の執筆・編さんにとりくんだ貝沢正のかかわった、ウタリ協会(名称当時)発行の『アイヌ史』(全五巻)をその失敗例と見て、同じく貝沢が執筆・編纂の責任者であった『二風谷』をその成功例と見て、「アイヌ側から見たアイヌ史」の可能性を探る。
著者
新井 かおり
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.57-74, 2022-03-01

現在、アイヌと「共生」という用語は頻繁に結び付けて語られるが、多義的に解釈される言葉である「共生」の意味や、その内実についての議論はほとんど存在しない。本論では後に二風谷(にぶたに)ダム裁判となった、貝沢正(かいざわただし)の二風谷ダムの問題に関する最晩年の記録などから、二風谷ダム問題における貝沢の「共生」の内実を探った。その結果、貝沢にとっての「共生」のナラティブは、アイヌの生きた土地と人々の尊重のためであり、ローカルな文脈に依拠し具体的に語られていることを見出した。また当時の事情に鑑みてアイヌの生きていることへの承認が急がれたため、テレビのインタビューで貝沢はステレオタイプ的な「共生」を語っていた。一見、矛盾するかのように見えるこの二つの「共生」のナラティブは、貝沢の中ではアイヌを尊重するという思いから来たもので実は矛盾ではない。「共生」の二つの側面を見ることで、今後のアイヌと「共生」の議論に貢献したい。
著者
北原 モコットゥナシ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.103-140, 2022-03-01

アイヌ民族を巡る諸実践の中では「アイヌとは誰か」が問われることがある。このように問うことは、同時に(あまり意識はされないが)和人とは誰かをも問うことになる。そうした当事者性は、人によっては自明のものとされ、あるいは微妙な問題とされ、正面から議論されてこなかった。特に、和人性について問うことは、しばしば強く拒絶される。また、アイヌ性についても、十分検討されたことがなく、当事者間で混乱や衝突が起こることもある。アイヌ・和人のいずれも、明確な定義はなく、またどのような定義からも漏れる者がいる可能性がある。 ただ、定義はおくとしても、マジョリティの地位に立つ者がいることは事実であり、その立場を「和人」と名づけることは重要である。そして和人性を問うことなく、議論から離脱することは、アイヌや他の民族的マイノリティが抑圧されている現状を支持することに繋がる。 こうした問題意識に立ち、本稿では3つの点を取り上げた。第1節では和人の当事者性を語ることの困難と、必要性について論じた。第2節では、アイヌの当事者性を意識させる要素について整理して例示し、家族としての(血縁を必須とはしない)繋がりが重要であることを述べた。いっぽう、体質についてのネガティブな見方や健康上の問題、貧困などは、現状では民族的アイデンティティと密接な関係にあるが、民族性を超えてより広く当事者性を設定できることを論じた。第3節では、野口(2012)の議論を元に当事者性の絶対化・相対化の意義を論じた。当事者性は固定的なものではなく、様々な局面で議論の目的によって戦略的に固定化・相対化しつつ設定される。同時に、アイヌ社会の一員であっても、当事者的要素の多くを持たないこともある。こうした多様な経験を持つアイヌの代表性を考える際、様々な属性をトータルに代表しうる者は想定しにくく、問題の局面ごとに、最も周縁に置かれている(問題に直面している)人々の声が聞かれるべきであることを述べた。 付論Aでは文化の真正性について検討した。文化的な実践の場ではアイヌ文化の「正しさ」が語られることが頻繁にあり「正しいアイヌ文化」を保持していることが、アイヌの当事者性を示すと理解されることもある。そこで、この領域の先行研究を紹介しつつ真正性を考える際の論点を整理した。 また、マジョリティによる無意識の抑圧的な言動や、当事者性をめぐって疎外が生じる局面について、具体的な事例に即して理解できるよう、当事者同士の対談を付論Bとして収録した。
著者
北嶋 イサイカ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.35-46, 2023-03-01

アイヌ民族に対する差別は、以前はあからさまな表現であったが、現在は日常に溶け込み、見えにくい言動となった。発言者の意識の有無にかかわらず、マイクロアグレッション(小さな攻撃)がおこり、発言者さえ攻撃をしていると気付かないことがある。また、受け手もその言葉に小さな不満をもつが、それがどの言動なのか分からず、なぜ自分がイライラするのか理解できずに戸惑う場合がある。本稿は、その見えにくい攻撃について、発言者の言葉と受け手について考えられる感情を文字にすることにより視覚化し、どのような表現がマイクロアグレッションに該当するか記述する。 ここではアイヌ民族が受ける小さな攻撃に焦点をあて、第1節では、マイクロアグレッションの概要と3つの分類について述べる。第2節では博物館、第3節では技術講習会でおこるマイクロアグレッションについて、筆者の事例をあげ、考えられる感情について記述し分類する。第4節では博物館と技術講習会でおこるマイクロアグレッションについて考察した。
著者
北原 モコットゥナシ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.7-34, 2021-03-01

本稿では、先住民研究において重要な知見を提供してきた歴史的トラウマ概念を取り上げ、アイヌ民族研究における有効性を考える。現代のアイヌ民族の文化状況は、近代のそれとは大きく変化し、偏見や差別を引き起こす文化的差は減少してきていると考えられる。その反面、民族性の違いに起因する疎外感やアウティング(属性の暴露)に対する恐怖といった状況はそれほど変化しておらず、それがアイヌのとしての自己肯定感を持ちにくい状況を生んでいる。歴史的トラウマと、スティグマの概念を導入することによって、こうした状況の説明が可能になる。 次に、トラウマを可視化することと、その解消が研究上・政策上の課題であることを述べる。従来のアイヌ政策では、こうした悲嘆・トラウマの存在やその治癒が意識されないか、軽視され、もっぱら文化振興に重心がおかれてきた。文化の喪失とトラウマは、連動してはいるけれども完全には重ならず、文化を回復すれば差別による問題も解消するわけではない。今後の政策においては、文化復興とは別にトラウマの解消に取り組むこと、その際、他の差別やハラスメントにおける加害防止プログラムなどを参照すべきことを提言する。
著者
杉本 リウ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.47-61, 2023-03-01

悪意の有無に関わらず、受け取った人が不快に感じたり傷ついたりする言動がある。マイクロアグレッションとよばれるこのような言動は、明確な悪意をもって発される差別的言動と比べて、悪意が無い・見えづらい分対応が難しいが、その影響は小さく捉えられている現状がある。本論では、ウポポイで日々起こっている、来場者から職員へのマイクロアグレッションを事例としてあげ、その問題点を考える。この論考が、現在のウポポイの状況を多くの人に知ってもらい、他者を尊重することについて考えてもらうきっかけになることを願う。1節では、ウポポイでどういう環境の中、マイクロアグレッションが起こっているのか想像しやすいように、ウポポイという施設について説明していく。2節では筆者の民族的アイデンティティについて述べる。3節では本論のキーワードとなるマイクロアグレッションの定義を述べる。4節ではウポポイでの来場者から職員へのマイクロアグレッションの事例をあげ、その問題性を指摘していく。5節では、マイクロアグレッションを防ぐためにできることについて筆者の考えを述べ、まとめとする。
著者
佐藤 知己 北原 モコットゥナシ イヤス シリヤ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.75-101, 2022-03-01

本稿は北海道大学が作成・配布する「北大キャンパスマップ」に掲載される学内諸施設の名称をアイヌ語訳する作業の過程および訳案と、作業過程での議論をまとめて記録し、今後に残すものである。既存の語彙にない表現の翻訳としては、ウポポイ(民族共生象徴空間)で行われて来た展示・表示のアイヌ語化と通じるところがある。ただし、ウポポイでは日本語表現もアイヌ民族を主体とする表現を検討する余地があったが、本作業は和人を主体として長年使用されて来た語句を如何にアイヌ語化するかという視点を含んでおり、よりラディカルな形で脱植民地化というテーマに接近したものとなった。そのため、一致点を容易に見いだせず、狭義の言語学的翻訳論における議論のみでは不十分であることが浮き彫りにされた。なお、作成の過程では和人研究者(佐藤)とアイヌ民族に出自を持つ研究者(北原および複数名)が協議し、それぞれの立場からの議論を行ったが、議論は主として、現在用いられている日本語名称をアイヌ語訳する際の言語学的な精緻化、およびアイヌ民族の視点を反映させた訳の検討、そうした視点の必要性の3点について行った。なお、参考のために海外の同様の事例も検討することとし、サーミ語とフィンランド語の事例について、寄稿を受けて紹介することとした。本稿はこれらの議論を踏まえ、1から3は佐藤が、4はイヤスが、5から9は北原が執筆した。
著者
窪田 幸子
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.67-82, 2021-03-01

本稿では、先住民と主流社会の和解の可能性と、その社会的影響をテーマに取り上げ、考察する。カナダとオーストラリアでは、1990年代から和解が大きな社会的焦点となってきた。両国の、植民地の歴史はいずれも18世紀に始まり、先住民が暴力をうけるなどの苦しい経験をし、文化を剥奪され、人口を大きく減らしたことなども共通している。特に、1970年代まで両国で続けられた強制的な子どもの引き離しと、寄宿学校での強制を伴う教育は、先住民の人々に悲劇的な結果をもたらした。その結果、多くの人々が現在もつづくトラウマに苦しんでいるのである。このような事実は、これも両国で1980年代に注目を集めるようになり、国家的な調査がおこなわれ、和解への提言がだされた。そしてさらに、2008年には両国の首相が公式謝罪をおこなっている。このように、両国の和解に向かう経緯は大変類似して見えるのだが、細かくその内容を検討すると、相違点も見えてくる。本稿は、和解に向かう経緯での相違点を指摘し、その違いが与える社会的影響と意味について検討、考察する。それにより、先住民との謝罪、ヒーリング、そして和解の役割を、我々がより深く理解することをめざす。
著者
文 公 輝
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.83-98, 2021-03-01

2019年5月に施行された「パワーハラスメント防止法」に関連して示された指針と行政通達は、法の運用にあたって「外国人である」属性が考慮要件とされることを明示している。つまり、職場におけるレイシャルハラスメントのうち、一定の人種差別言動が、事業所による措置義務の対象になった。「身体的な攻撃(暴行・傷害)」、「精神的な攻撃(脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言)」、「個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)」など、指針が示すパワーハラスメントの類型ごとに、外国人であることを理由としたハラスメントの具体的内容を検討・例示した。また、措置義務対象となるパワーハラスメントを構成する3つの要件、事業主が講ずるべき措置、講ずることが望ましい措置について、人種差別問題の観点から考察した。これら、措置義務対象となるパワーハラスメントを予防するためには、「グレーゾーン」のレイシャルハラスメントを把握し、適切対応を行うことが重要である。本稿は外国人であることを理由としたハラスメントに関する考察だが、ミックスルーツ/マルチルーツの人たち、アイヌの人たちに対するハラスメントも、パワーハラスメント防止法の措置義務対象となり得る。全ての人種的マイノリティの働く権利を増進するために、法に基づく措置義務を企業が積極的に果たしていくことが重要である。
著者
Nicholas George
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.141-159, 2022-03-01

While heritage is important to all societies, Indigenous peoples and other minority peoples have long had little control over their heritage as a result of colonialism and other historical disruptions. This is further complicated by the fact that Indigenous conceptions of heritage are generally very different from those of the dominant population. In order to more fully protect and respect their heritage, which is essential to their identity, worldview and wellbeing, we must recognize two things: 1) that heritage must be viewed as an essential human right, and 2) that the disrespect for or loss of Indigenous heritage places must be viewed as a type of violence against people. Also discussed is the impact of cultural appropriation on Indigenous lives. The paper concludes by offering some general recommendations for addressing these challenges.
著者
ヌルミ ユッシ
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.83-115, 2023-03-01

本研究では現在まで明らかにされていない、そしてあまり研究対象とされていないアイヌ語の否定表現を類型論的な観点から調べることとする。否定はある命題の真偽を表すのみならず、様々なコンテクストによる語用論的な意味も見られる。本研究では、Miestamo (2016)の方法を参考にし、アイヌ語における否定を総合的にまとめることを目標とする。また、先行研究や文法書などに具体的に扱われていない、統語的に否定だが、語用上ではそれ以上の意味を持つ否定表現にも注目する。また、本研究ではより幅広くアイヌ語の否定表現を調査するために、様々なジャンルのアイヌ語テキストの分析をしてきた。本稿はアイヌ語の統語的な否定を一般的にまとめたものだが、今後の研究すべき対象や本稿で解決できなかったものを指摘することを示したものでもある。
著者
加藤 博文
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.31-56, 2022-03-01

本論は、日本人初の解剖学教授である小金井良精が関わった国際的な先住民族の遺骨交換についてオーストラリアの研究者との関係から取り上げたものである。具体的には、オーストラリア国内の博物館に残された資料と小金井良精に自身による日記の記述を対比することで、交換されたアイヌ民族の遺骨の由来と履歴を検証した。また日豪双方で関与した研究者について検討を加え、先住民族の遺骨が国際的に交換された背景の解明を試みた。
著者
Ijas Silja
出版者
北海道大学アイヌ・先住民研究センター
雑誌
アイヌ・先住民研究 (ISSN:24361763)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.117-160, 2023-03-01

Being able to use an endangered language in modern everyday life is an important part of language revitalization. However, most endangered languages lack a modern lexicon, and it needs to be deliberately created. Many language revitalization projects have established new words committees to take care of lexical modernization. Lexical modernization has also been conducted in Ainu language revitalization, but the process and different initiatives have not yet been comprehensively analyzed. The objective of this article is to analyze what kind of lexical modernization work for Ainu has already been done and what kind of tasks remain to be done. The analysis is conducted by reviewing the prior research about Ainu and other indigenous languages’ lexical modernization. The lexical modernization work conducted in other language revitalization projects has been used as examples and to draw ideas on how to proceed in the case of Ainu. The main findings are that while several projects have developed new lexicon for Ainu, there are no established guidelines for neologism-creation and the results of the projects are not published in a centralized way. Thus, this paper argues that Ainu language revitalization would benefit from establishing a language planning agency that would take care of coordinating lexical modernization.