- 著者
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基峰 修
KIMINE Osamu
- 出版者
- 金沢大学大学院人間社会環境研究科
- 雑誌
- 人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
- 巻号頁・発行日
- no.34, pp.77-98, 2017-09-29
牛甘は.「牛飼」とも書かれ. 古代において牛の飼養・飼育及び管理を行っていた者及びその集団の名称であると考えられる。本論では. 牛甘(飼)に関連する文献史料を紹介した上で. (1)牛形埴輪. (2)装飾古墳の牛と想定できる図文. (3)高旬麗壁画古墳で描かれた牛図. を比較分析の対象として. その共通点と相違点を抽出することで. 牛の渡来と牛甘 (飼) の特性について考察を行った。牛及びその飼育や管理の技術は. 5世紀後半以前に. 馬及びその飼育や管理の技術と一連のものとして. 朝鮮半島から渡来した可能性が高い。 しかしながら. 古代日本 では. 馬の生産に比べて. 牛は極めて少なかったことが指摘でき. むしろ. その利用が皇族・貴族のための薬としての牛乳 ・ 乳製品の生産に限定されていたため, 数多くの牛の生産の必要がなかったといえる。 渡来当初. 牛は馬甘(飼)によって馬と一緒に飼育されていた可能性が高く. 馬甘(飼) と牛甘(飼)は明確に分化された存在ではなかったと考えられる。 このことが. 古代日本において, 牛甘(飼)が専門集団として発達しなかった理由と考えられ. むしろ. 牛甘(飼)の特性であったといえる。また, 牽牛織女説話も, 牛の渡来と大差ない時期に. 牛の飼育と一連の文化複合として. 朝鮮半島から日本に伝来し, 今日の七夕説話として定着した可能性が高いといえる。