著者
笠井 純一 笠井 津加佐 Kasai Junichi Kasai Tsukasa
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.42, pp.245-261, 2021-09-30

本稿は、北の新地で行われた春の踊や温習会に関わる、大正期から昭和初期の書信を紹介するものである。全て北の新地の経営者であった佐藤駒次郎が受信したものであり、大阪大空襲で湮滅したと考えられてきた大阪花街の史料として希少価値を持つだけでなく、築地小劇場、花柳舞踊研究会、新舞踊運動など全国規模で展開された文化・芸術活動と花街の関りを伝えるものとしても貴重である。演劇・舞踊・文学・美術・音楽などの文化と、社会との関係を考えるための史料として、広く公開したい。紙数の関係から二回に分載し、本稿(下)では、北陽浪花踊と直接関係しない発信者の書信を翻刻・紹介する。
著者
荒木 由希 Araki Yuki
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.45-61, 2018-09-28

きもの産業はピークの2兆円産業から6分の1にまで縮小している。 本稿はその縮小原因を.先行研究から分析し. (1)生活スタイルの変化,(2)高付加価値化戦略,(3)産業の組織構造の問題の 3点に整理した。 生活スタイルの変化による需要減少に伴い, 生き残りをかけてきもの産業がとった戦略は. 高付加価値戦略, フォ ーマル路線戦略であった。 しかし. いまや消費者のニ ーズ は高級路線から変化している。 それにもかかわらず. きもの業界は, きもの=高級品という図式 に固執し. ますます消費者ニー ズと乖離する「高付加価値化の罠」とも呼ぶぺき状況にある。 本 稿では. ぎもの産業が高付加価値化の罠に陥った理由に,「伝統」という要素が深く関わってい るのではないかという仮説を立てた。 そして先行研究整理を通じ. 生産流通過程において.高級 化路線をもたらす分業システムが硬直的に垂直統合されており, 簡単には変えられず従来の高級 路線に縛られているために, きもの産業が「高付加価値化の罠」から脱却できないとのロジック を析出した。 これはドメスティックな消費慣習に依存して, それを破壊してまで新しい市湯機会 にチャレンジすることを躊躇する日本のものづくり産業全般の業界状況と重なる話である。 こ れまでに各種の対策が提言されているが, 国や自治体の一律的な政策は, 主因である構造的な問 題が未解決のままであり. 現場で機能していないことが多い。 きものを生産する現場は, 日本全 国各地に存在し,その地域と風土を活かしたきもの作りを行っている。そこで,地域特異性を考慮した. きもの産業の構造の再編成の重要性と有効性を,今後の検討課題として整理する。
著者
笠井 津加佐 新谷 佳冬
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.14, pp.115-132, 2007-09

金沢大学社会環境科学研究科地域社会環境学専攻新国立劇場バレエ研修所講師
著者
白石 佳和 SHIRAISHI Yoshikazu
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.42, pp.49-65, 2021-09-30

季語は日本の自然を詠むための詩語であり,和歌以来の伝統的な詩的感覚・文化的記憶の産物である。そのため,自然・言語・文化が異なる国際ハイク(注:国際化した俳句を「ハイク」とカタカナで表記)では季語があまり重視されてこなかった。しかし,季語がなければハイクはただの短詩になる可能性がある。本論文では,国際ハイクにおける季語の問題を検討する。その考察材料として,ブラジルハイカイ(ブラジルではポルトガル語の俳句を「ハイカイ」と呼ぶ)における増田恆河の活動を取り上げる。ブラジルハイカイで有季ハイカイを提唱した増田恆河の論考とポルトガル語歳時記を分析し,それを国際ハイクのオーセンティシティの一例として考察する。増田恆河は,季語を詠むハイカイこそが本格的ハイカイであると主張し,有季ハイカイを推奨した。日本と同じ季語もブラジル特有の季語も,ブラジルの自然を詠むならすべてブラジル季語である,という論を展開し,理論に沿って兼題の句会の開催や有季ハイカイ句集の刊行を行なった。また,『NATUREZA』というポルトガル語歳時記の作成では,理論通りブラジルの感覚の季語を選定し,「詩情」や「感覚」などのポイントに基づいて解説を行なっている。ただ,日本的な解説やブラジル的でない解説も交じることから,季語解説の苦労が読み取れる。このような彼の理論と実践がブラジルハイカイのオーセンティシティを形成している。ブラジルハイカイの例からもわかるように,北米・南米には日系俳句という日本語の国際ハイクの存在がある。国際ハイクをすべて一様に扱うのではなく,日本俳句,日本語ハイク,国際ハイクをスペクトラムとして捉える視点も必要である。また,季語のオーセンティシティを語る要素の一つとして,俳句の起源である連句が指摘できる。
著者
茶谷 丹午 CHATANI Tango
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.34, pp.1-11, 2017-09-29

本稿ではラフカデイオ・ハー ンにおける二つの文学的表象, 青空と霊を取り上げる。 これらは彼の紀行文や幽霊物語だけでなく, 思弁的な内容のエッセイにも現れるものである。 彼はこの二つの表象を用いて, 人間における個人性を否定する議論を展開する。 ハー ンは言う。 人間のうちには無数の死者すなわち霊が存在しており, 人間とはいわば集合体である。 また人間にとって,青空をみて憧れ, 自分が青空に融け入り. いまある個人的な自己を失うことを願うのは, 賢明であり合理的である、と。しかしその一方で彼は、他者との倫理的関係を結ぽうとする主体としての「私」を認めているようでもある。 ハー ンのエッセイは夢想的であり晦渋でもあるけれども,その目指すところはおそらく人間存在の二面性の把握にあるのであり その点で彼は和辻哲郎の立場に近いように思われる。 そこで試みに和辻倫理学を補助線として用いて, 幽霊の登場する作品の一つである『人形の墓』を分析し、そこからハーンの哲学的議論における霊と、文芸作品における霊との連続性を考察する。
著者
高橋 律子 TAKAHASHI Ritsuko
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.41, pp.33-47, 2021-03-31

This cultural sociological study analyzes the meaning of "sewing" as a technique of expression in contemporary art from a gendered perspective. Sewing has been regarded as a technique mainly used by women. This study explored the relationship between gender bias and femininity, rather than looking at sewing. There are three types of techniques: three-dimensional soft sculpture, two-dimensional embroidery, and collage, which is a patchwork-like technique of sewing cloth to cloth. As a result of its incorporation into the context of sculpture, soft sculpture was often created by male artists, while embroidery tended to be a female habitus and was often created by female artists or with gender considerations in mind. The analysis of cloth as a "collage" is an issue for future work in terms of its relevance to clothing and the affinity of the collage technique with women, which is not limited to cloth. In addition, as the concept represented by sewing, this study highlighted four important themes as art that confronts contemporary society: gender, community/communication, time and memory, and life and death. By examining contemporary art with the sewing along the vertical axis, I was able to see the sawing as a technique that women were able to acquire as a predominantly women's work or hobby as well as from the perspective of the socially vulnerable. Sewing is highly flexible and has both two- and three-dimensional qualities. It is a primitive technique that is close to our daily life, and the technique itself contains various messages. It seems to me that the failure to look at sewing as a handicraft objectively has been a matter of criticism, not for the creator. While accepting the fact that it was a woman's handicraft and hobby, I feel the need to explore more of its potential as an art technique.
著者
基峰 修 KIMINE Osamu
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.34, pp.77-98, 2017-09

牛甘は.「牛飼」とも書かれ. 古代において牛の飼養・飼育及び管理を行っていた者及びその集団の名称であると考えられる。本論では. 牛甘(飼)に関連する文献史料を紹介した上で. (1)牛形埴輪. (2)装飾古墳の牛と想定できる図文. (3)高旬麗壁画古墳で描かれた牛図. を比較分析の対象として. その共通点と相違点を抽出することで. 牛の渡来と牛甘 (飼) の特性について考察を行った。牛及びその飼育や管理の技術は. 5世紀後半以前に. 馬及びその飼育や管理の技術と一連のものとして. 朝鮮半島から渡来した可能性が高い。 しかしながら. 古代日本 では. 馬の生産に比べて. 牛は極めて少なかったことが指摘でき. むしろ. その利用が皇族・貴族のための薬としての牛乳 ・ 乳製品の生産に限定されていたため, 数多くの牛の生産の必要がなかったといえる。 渡来当初. 牛は馬甘(飼)によって馬と一緒に飼育されていた可能性が高く. 馬甘(飼) と牛甘(飼)は明確に分化された存在ではなかったと考えられる。 このことが. 古代日本において, 牛甘(飼)が専門集団として発達しなかった理由と考えられ. むしろ. 牛甘(飼)の特性であったといえる。また, 牽牛織女説話も, 牛の渡来と大差ない時期に. 牛の飼育と一連の文化複合として. 朝鮮半島から日本に伝来し, 今日の七夕説話として定着した可能性が高いといえる。Ushikai (written牛甘 or 牛飼) is an ancient name for either individual cowherds or a group. I introduced a series of bibliographic materials related to Ushikai in this paper, comprising: (1) A bovine-shaped Haniwa; (2) A drawing from ornamented tombs that is thought to be of a bovine, and (3) Bovine drawing on Goguryeo tomb murals. I identify the common features and differences amongst these materials, and discuss the arrival of cattle in Japan and the characteristics of Ushikai based on these findings. Cattle as well as raising and management technologies first arrived in Japan before the late 5th century from the Korean Peninsula, almost certainly at the same time and in the same context as horses. Evidence suggests, however, that only very limited cattle production was practiced in ancient Japan compared to horse production; it appears to have been little need for large numbers of cattle as their use at this time was limited to milk and dairy product production for use as medicines for the royal family and aristocrats. It is also highly likely that cattle were initially reared by Umakai alongside horses when first introduced to Japan, and that Umakai and their counterparts were not clearly distinct from one another. This is considered as one reason why the Ushikai of ancient Japan did not develop into a group devoted to entirely to cattle husbandry; rather, the absence of this developmental characteristic appears to define the group. Finally, it is also highly likely that the legend of the cowherd and the weaver girl was transmitted to Japan from the Korean Peninsula as a cultural complex related to the cattle rearing around the same time as the importation of these animals. This legend has become part of popular culture as a modern-day Tanabata (Star Festival) narrative.
著者
白石 佳和 SHIRAISHI Yoshikazu
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.42, pp.49-65, 2021-09-30

季語は日本の自然を詠むための詩語であり,和歌以来の伝統的な詩的感覚・文化的記憶の産物である。そのため,自然・言語・文化が異なる国際ハイク(注:国際化した俳句を「ハイク」とカタカナで表記)では季語があまり重視されてこなかった。しかし,季語がなければハイクはただの短詩になる可能性がある。本論文では,国際ハイクにおける季語の問題を検討する。その考察材料として,ブラジルハイカイ(ブラジルではポルトガル語の俳句を「ハイカイ」と呼ぶ)における増田恆河の活動を取り上げる。ブラジルハイカイで有季ハイカイを提唱した増田恆河の論考とポルトガル語歳時記を分析し,それを国際ハイクのオーセンティシティの一例として考察する。増田恆河は,季語を詠むハイカイこそが本格的ハイカイであると主張し,有季ハイカイを推奨した。日本と同じ季語もブラジル特有の季語も,ブラジルの自然を詠むならすべてブラジル季語である,という論を展開し,理論に沿って兼題の句会の開催や有季ハイカイ句集の刊行を行なった。また,『NATUREZA』というポルトガル語歳時記の作成では,理論通りブラジルの感覚の季語を選定し,「詩情」や「感覚」などのポイントに基づいて解説を行なっている。ただ,日本的な解説やブラジル的でない解説も交じることから,季語解説の苦労が読み取れる。このような彼の理論と実践がブラジルハイカイのオーセンティシティを形成している。ブラジルハイカイの例からもわかるように,北米・南米には日系俳句という日本語の国際ハイクの存在がある。国際ハイクをすべて一様に扱うのではなく,日本俳句,日本語ハイク,国際ハイクをスペクトラムとして捉える視点も必要である。また,季語のオーセンティシティを語る要素の一つとして,俳句の起源である連句が指摘できる。
著者
小西 洋子 木越 隆三 黒田 智 室山 孝 吉田 航志 Konishi Yoko KIGOSHI Ryuzo Kuroda Satoshi MUROYAMA Takashi YOSHIDA Kazushi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.42, pp.227-243, 2021-09-30

小松称名寺所蔵『烏兎記』は、小松勝光寺十一代住職周好による、明和六年(一七六九)一年分の日記である。特に「小松寺庵騒動」に関する史料として知られている。また、周好が日々伝え聞いた話が書き留められており、小松町周辺のみならず、大聖寺・越前の出来事など、その内容は多岐にわたる。 本史料の従来の翻刻は誤脱もあるため、改めて全文を翻刻し、紹介する。翻刻により、多くの研究者の利用に資したい。本稿は六回目であり、今回をもって完結となる。
著者
由谷 裕哉 YOSHITANI Hiroya
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.40, pp.165-179, 2020-09-30

A shrine merger is the merger of one or several Shinto shrines with another shrine. Such mergers were especially promoted by the Home Ministry, based on the legal foundation of two Imperial edicts proclaimed in 1906. This paper is based on the Jinja-meisai-cho pertaining to five old villages located in the southern suburbs of Komatsu City. The Jinja-meisai-cho were the official Shinto shrine registers authorized by the Meiji government after 1872, submitted to the Home Ministry by every prefecture, with the prefectures keeping a duplicate. Information about shrine mergers was normally added in red ink in each Jinja-meisai-cho. The author applied to publicize the Jinja-meisai-cho of the above five villages, which are kept by the Ishikawa Prefectural Office, and acquired copies of them. The paper begins by examining how we should interpret information about the integration and abolition of the individual Shinto shrines contained in Ishikawa Prefectural Office's Jinja-meisai-cho, which were compiled in various formats. It outlines the following different types of shrine mergers: the merger of an abolished shrine with another shrine, and transfer to the precincts of another shrine to establish a new shrine (Keidai-sha). Among the preceding studies of shrine mergers, WATANABE Kei-ichi's paper of 2009 was the first to point out the importance of the latter type. Finally, the paper compares the Jinja-meisai-cho of the five Ishikawa villages with those of Kamisato Town, Saitama Prefecture, the topic of Watanabe's case study, and it clarifies the characteristics of the shrine mergers in the southern suburbs of Komatsu City.
著者
基峰 修 KIMINE Osamu
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.34, pp.77-98, 2017-09-29

牛甘は.「牛飼」とも書かれ. 古代において牛の飼養・飼育及び管理を行っていた者及びその集団の名称であると考えられる。本論では. 牛甘(飼)に関連する文献史料を紹介した上で. (1)牛形埴輪. (2)装飾古墳の牛と想定できる図文. (3)高旬麗壁画古墳で描かれた牛図. を比較分析の対象として. その共通点と相違点を抽出することで. 牛の渡来と牛甘 (飼) の特性について考察を行った。牛及びその飼育や管理の技術は. 5世紀後半以前に. 馬及びその飼育や管理の技術と一連のものとして. 朝鮮半島から渡来した可能性が高い。 しかしながら. 古代日本 では. 馬の生産に比べて. 牛は極めて少なかったことが指摘でき. むしろ. その利用が皇族・貴族のための薬としての牛乳 ・ 乳製品の生産に限定されていたため, 数多くの牛の生産の必要がなかったといえる。 渡来当初. 牛は馬甘(飼)によって馬と一緒に飼育されていた可能性が高く. 馬甘(飼) と牛甘(飼)は明確に分化された存在ではなかったと考えられる。 このことが. 古代日本において, 牛甘(飼)が専門集団として発達しなかった理由と考えられ. むしろ. 牛甘(飼)の特性であったといえる。また, 牽牛織女説話も, 牛の渡来と大差ない時期に. 牛の飼育と一連の文化複合として. 朝鮮半島から日本に伝来し, 今日の七夕説話として定着した可能性が高いといえる。
著者
笠井 津加佐 雄谷 ソニア啓子 Kasai Tsukasa Oya Sonia Keiko
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.35, pp.223-239, 2018-03

本稿は,日本伝統文化の海外普及には何が必要かを追究するため,「人間社会環境研究」第24号,第26号での報告に引き続き, 文楽 「曽根崎心中」の受容実態に関する調査を行うと同時に. これまでの調査結果を小括し.今後の調査方法, 分析課題, 分析の意義などを問うことを目的とするものである。今回の調査は, 海外ではスペイン王国, 国内では大阪地域で行った。 これまで. 海外での調査対象は, ドミニカ共和国 アメリカ合衆国におけるラテン系市民であったが, 今回はスペイン文化淵源の地を対象とする。 また対照事例として, 第24号で扱った国内・北陸地域(文楽鑑賞歴を有する者無)に加え, 本稿では文楽の本拠:大阪地域(鑑賞歴を有する者多数を含む)を取り上げた。調査方法は, 前回・前々回と基本的に同じである。自由記述による感想報告を求め, 感想が直哉に表れる述語部分を中心に分類・分析したことも. 従前の通りである。その結果を小括すれば,「肯定的作品受容」では, 海外の3国とも「興味深い」が上位に来ており 国内では, 2地域に共通するサンプルが少なかった。 述語部分が表現する対象のイメージが喚起されるような「色っぽい」「いじらしい」など大阪地域独特のサンプルも見られた。「否定的作品受容」では, 海外では3か国ともに「退屈だ」が上位を占め, 国内ではともに「わからない」が上位であった。「どちらでもない作品受容」では, 海外では東西文化相違の指摘や. 字幕を要請するものがあり.大阪地域では実演を強調し,歌舞伎との比較を語るサンプルが見られた。伝統文化が生き続けるためには, まず興味を持たれ. 理解されることが肝要である。 これまでの調査によれば, 海外受容者の感想は「興味深いが, 理解できず退屈だ」と小括できるものの.字幕の要請が見られることから理解に向けての姿勢も窺われる。 さらに, 伝統文化の発展に寄与する「贔属」へと育っていく鍵が. 大阪地域の調査結果に見られた。 イメー ジを喚起する述語部分の対象は演者個人の芸であり, 述語部分は「芸の好み」を表現していた。以上の考察を通して. 基盤となる調査に種々の問題が検出された。今後, 感想報告の述語部分を分析するためには, 調査参加者の条件や調査結果の分類基準の恣意性を改善し, 翻訳を中心とする分析の是非を検討する必要が確認できた。今後の課題としたい。We investigated requirements for spreading Japanese traditional culture overseas by focusing on the receptiveness to "Sonezaki-Shinju (Love Suicides at Sonezaki)," which is a Bunraku play. Moreover, previous research was reviewed and future research methods, analytical tasks, and significance of the analyses were discussed. The survey was implemented in the Kingdom of Spain and in Osaka, Japan. To date, overseas studies have been conducted in the Dominican Republic and with Latin American citizens in the USA. The present study dealt with the locus of origin of Spanish culture. Moreover, Osaka, where Bunraku originated was compared. The survey methods were basically identical to former studies. The results indicated that Spanish audiences had an impression that "it is interesting but boring because it is difficult to understand." On the other hand, they requested subtitles, suggesting their desire to understand. Moreover, a survey in Osaka indicated the key to the cultivation of "patrons," which contribute to the development of traditional culture. Based on the results above, it was confirmed that it is necessary to improve arbitrariness in conditions of participants and in classification criteria of survey results, and to examine the validity of the analysis focusing on translation, in order to analyze predicate parts of impression reports.
著者
廣田 篤 HIROTA Atsushi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.34, pp.65-75, 2017-09-29

本論では, Langackerの認知文法の枠組みに沿って, A whale is no more a fish than a horse is. に代表される, いわゆる「クジラ構文」と呼ばれるNo more A than B 構文の下位構文を取り上げ. その個々の構成要素の意味構造から成る合成構造を記述することで. その構文で実際に言語化された「意味論的意味」の構造を明らかにする。 その上で,「文全体の意味は個々の構成要 素(部分)の意味の総和以上のものである」という構文のゲシュタルト性を考慮した「構文的意味」が.「意味論的意味」とどのような点において異なるのかを検討する。 つまり.「クジラ構文」の「構文的意味」に反映している認知の特徴的なあり方には. 2種類の互いに対照的なカテゴリ ー化が関係していると考える。 最後に. そうしたカテゴリー化の仕方の違いとthanに後続する命題の典型性条件(ここでは. 後行命題が明らかにく偽>であるという制約)が. 当該構文の「構 文的意味」の創発にどのように関わるのかについて議論する。 その際,「クジラ構文」という発話における対話者間のやりとりを「レトリック」という観点から捉え直し. それが当該構文の新しい特徴づけであると主張する。 つまり. 聞き手の誤信念を修正するために「レトリック」が効果的に用いられ. それが構文特有の「修辞的効果」として特徴づけられることを示す。
著者
KASAI Junichi KASAI Tsukasa
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:24360627)
巻号頁・発行日
no.43, pp.133-147, 2022-03-31

本稿は、阪口祐三郎(一八八四~一九六一)が残した「大和屋技芸学校」の稽古帳を翻刻・紹介するものである。祐三郎は大阪市南区(現中央区)の芸妓扱店(置屋)大和屋の経営者であったが、明治四三年(一九一〇)、妻のきみと共に五年制の「大和屋芸妓養成所」を設立し、武原はん他の優れた芸妓を育てた。大和屋が属した大阪南地五花街では、すでに明治三〇年に芸妓の技能試験を始めていたが、祐三郎の企画は花街の近代化を一層推進するものであった。 「大和屋技芸学校」は大阪府の認可を受け、戦前の衣鉢を継いで昭和二五年(一九五〇)から生徒を募集した。この「稽古帳」は戦後の芸妓教育の実情を示すだけでなく、戦前期「大和屋芸妓養成所」のそれを髣髴させるが、芸妓教育のカリキュラムとして他に類を見ない貴重な史料である。現所蔵者・阪口純久氏(祐三郎長女)の許可を得て、ここに公開する。
著者
山田 哲也 Yamada Tetsuya
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
金沢大学大学院人間社会環境研究科博士論文要旨(論文内容の要旨及び論文審査結果の要旨)
巻号頁・発行日
vol.平成21年6月, pp.9-14, 2009-06-01

取得学位:博士(文学), 授与番号:人博甲第2号, 授与年月日:平成21年3月23日, 授与大学:金沢大学, 論文審査委員長:岡田, 文明, 論文審査委員:柴田, 正良 / 砂原, 陽一 / 森, 雅秀 / 竹内, 義晴 / 三浦, 要
著者
賀 樹紅 He Shuhong
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.35, pp.115-127, 2018-03

水上勉の文学には「裏日本」を背景とする作品が多い。「裏日本」という言葉は, 現在では差別用語とされているが, 元々自然地理的な用語であり, 近代以前のH本海側では「裏」という言葉に差別意識は含まれていなかった。 日本近代の産業革命による「表日本」と「裏日本」の経済格差の拡大に伴い, 二十世紀初頭までに「裏日本」は「表日本」に対するヒト・モノ ・ カネの供給地とみなされ, 社会的格差を表現する概念として使われるようになった。 他方,「裏」という言葉に, 開発の手を逃れた日本海側に日本の大切なものが秘匿されているという意味を見出す, 積極的な評価の動きもある。水上は, 後者の肯定的な「裏」解釈の立場から「裏日本」を表現する作家である。 しかし,彼の故郷である若狭に林立する「原発銀座」は,差別的な意味での「裏」 との関連を示唆している。 本論では,「裏日本」の両義性を踏まえ,水上の作品『故郷』で描かれる三つの場所, 即ち, 冬の浦, 東唐崎, 若狭を考察対象とし,「裏」の表象を分析することにより, 彼の文学実践における錯綜する故郷観を明らかにする。
著者
ルッデ マルコ Rudde Marco
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.40, pp.63-81, 2020-09

The following article deals with the concept of modernity in the humanities. The term "modernity" is commonly used but its associations can cause some difficulties in understanding historical processes. In this article, the activities of the pedagogue and bureaucrat Izawa Shuji and the Music Study Committee on the Introduction of Western Music in Meiji-Era Japan will be examined to illuminate these problems. The focus is placed on two aspects of the modernization narrative: first, the tendency to interpret processes and changes within a society from a generalized perspective, which often leads to overlooking conflicts or antagonisms within a society, and, second, the fact that modernization is generally understood as a process of rationalization, which is insufficient to explain certain processes.
著者
齊藤 実祥 原田 魁成 寒河江 雅彦 栁原 清子 Saito Misaki Harada Kaisei sagae masahiko Yanagihara Kiyoko
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-11, 2018-09-28

高齢化が進むにつれて医療・介護の需要と費用が増加することで,地域社会へ与える影響を経済的観点から分析を試みる。具体的には,石川県K市の家族介設者全貝を対象としたアンケート調査を行い.その結果に基づいて,家族介護者の介護離職・転職等の経済損失と貨金換算の推計を行う。また、K市産業連関表を用いた経済波及効果の推計を行う。なお、両推計ではモンテカルロ・シミュレーション分析を用いる。アンケート調査から,要介護・要支援者の平均年齢は83.5歳,家族介護者の平均年齢は64.9歳である。家族介護者の就労状況については,家族介護者の30.8%が介護離職・転職等しており、そのうち介護離職の割合は29.3%で.家族介護者全体の9.0%が介護離職していることが明らかに なった。推計の結果.有業者に対する介護離職・転職等の経済損失額は16.6億円で.介護離職のみでの 経済損失額は4.9低円であった。他方.無業者の介護労働の経済損失は.介護離職・転職等の対 象外となるため.介護労働時間を賃金換算することで推計を行った。無職・専業主婦の介護労働 時間の石川県最低賃金換算額は16.3億円で.石川県介護福祉士平均時給換算額は24.8億円であっ た。また,医療費と介護費の経済波及効果は2014年の433.7億円から2025年の522.5億円に増加する。 それに伴って,K市生産年齢人口における雇用誘発数も2014年の15%から2025年の22%に上昇する。そのため,医療・介護の連携による地域経済波及効果から発生する新たな雇用誘発による約 2,500人の雇用枠を活用し,家族介護者を柔軟に雇用する政策が地域包括ケアの新しい方策案として検討可能である。
著者
笠井 純一 笠井 津加佐 沢田 伸 Kasai Junichi Kasai Tsukasa Sawada Shin
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.35, pp.205-222, 2018-03

大阪花街「北の新地」の北陽演舞場は, 1915年に竣工した和風美術建築であった。 ここでは毎春北陽浪花踊が美々しく開演され, 一般市民もこれを観覧するなど, 花街と杜会との接点ともいうべき施設であった。 この建物は1945年6月の大阪大空襲で灰儘に帰したが. 施工者:大林組には詳細な設計図と完成時の写真が多数残されている。 本稿はこれら資料から北陽演舞場の平面 構成と浪花踊観客の動線を紙上に復元し, その結果に基づいて, この建造物の劇場としての特色を追究した。