著者
河西 秀哉
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.477-510, 2005-07-01

サンフランシスコ講和条約期になると、天皇退位論が再浮上した。その議論の特徴は二つある。第一に、敗戦後一貫して主張されてきた天皇の「道徳」的責任論を引き継いでいたことである。天皇は日本という国家の「道徳」を示す存在と考えられ、天皇が退位という「道徳」的行為を行えば人々はその姿に感動し、象徴天皇制はより強力な支持を得ると考えられた。それは「一君万民」「君民一体」を目指す動きだったと言える。 第二に、「新生日本」の国家像と適合的な皇太子が戦争イメージを持つ天皇よりも選択され、その結果退位が主張されたことである。マスコミが清新な若いイメージで皇太子を捉えて大々的に報道したことが背景にあった。「新生日本」の目指す国家像と象徴天皇像は接合され、国家としての再出発の時期に天皇制も再出発すべきであるとして退位が主張された。結局退位は実現しなかったものの、講和条約期の退位論は、象徴天皇制/像の展開の中で皇太子の存在が浮上するきっかけとなった。

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『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』(安川寿之輔著 高文研 2019)p104に「今度の敗戦については(中略)永久の禍根となるにあらざるやを慮れる。」という『木戸幸一日記』からの引用文が掲載されているが、『木戸幸一日記 上・下』(木戸幸一著 東京大学出版会 1966)に該当の文章が見当たらない。該当の文章が載っている本が見たい。
『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』(安川寿之輔著 高文研 2019)p104に「今度の敗戦については(中略)永久の禍根となるにあらざるやを慮れる。」という『木戸幸一日記』からの引用文が掲載されているが、『木戸幸一日記 上・下』(木戸幸一著 東京大学出版会 1966)に該当の文章が見当たらない。該当の文章が載っている本が見たい。

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