著者
米田 治泰
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.47, no.2, pp.249-278, 1964-03-01

聖俗貴族の大土地所有とそれにもとずく小土地所有農民の隷属化は、十一批紀ビザンツにおいて、もはや国家の阻止しえざるものとなっていた。十一世紀末に成立したコムネノス朝は、それ自体、小アジアの軍事貴族であり、他の「同等者」の利益を無視することは許されなかった。ここに、レーン的結合を構成するというよりはむしろ皇帝による恩賞行為に近いのではあるが、皇帝と貴族の結合、前者の後者把握を可能ならしめるべき一種の「条件」が生起した。それは手短かにいえば、国家による「一定数量の農民、国税収入の贈与・移譲」であるが、単なる好意を越えて、国家の必要、特に軍事的な必要を充分させる意図も持っていた。我々はこの「条件的土地保有」をプロノイアに、さらにはアリスモス、カリスティキアに見るのであるが、それらの具体的内容、実体をどう理解するか。「ビザンツ封建制」は屡々、アウトプラギア (自発的徴税権) から構成されるといわれ、この点からいっても、条件的保有は少なからぬ意味をもつのであるが、そこに生ずる領主・農民関係はどうであったか。本稿は、こうした間題に若干の考察を加えんとしたものである。

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ビザンツ帝国において、国家が臣下・軍人に対し、一時的に国有地の徴税権と、その収入を与えた「プロノイア制」は、徴税した金のすべてをその臣下・軍人に与えたのか、一部を与えたのか。

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