著者
岡 惠介
出版者
東北文化学園大学
雑誌
総合政策論集 : 東北文化学園大学総合政策学部紀要 = Policy management studies (ISSN:13468561)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.61-75, 2004-12-31

In Japan, many people in past times imagined Tibet as an "uncivilized", "unexplored" region. These conceptions were based on the journalism of the day, the influence of the particular individuals introducing Tibet, and the general historical background. In the revival period of the Showa 20s, the term "Tibet" was applied to the Iwate prefecture. In most cases this indicated the area's need for development, Iwate had lost many farmers who had settled in Manchuria, and the area suffered greatly under the farm village depression of the early Showa years. Iwate's postwar revival depended heavily on resettlement, including many repatriated farmers. Use of the "Tibet" reference reflected awareness of this need for development.

言及状況

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「日本のチベット」がトレンドになっていたので検索してたら、この記事がとてもおもしろかった。 https://t.co/dzhxc5jO90
→ 一方、「チベット」に日本やニッポンを組み合わせた、この時期として例外的である、「日本のチベット」(大牟羅、1951)と「日本のチベット地帯」(農林春秋特派記者、1952)および「ニッポンの西蔵地帯」(大牟羅、1952、1954)のうち3例は大牟羅良/。」 同上 岡恵介2004 https://t.co/wXe4OFjLwl https://t.co/TTQ9NyFHyi
→そのバリエーション/で、「チベット地帯」が6例でこれにつぐ。/1948/年に九州の日田地方に「チベット」を用いた例があるが、これは例外的なもの/。 → 同上 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/wXe4OFjLwl https://t.co/rig0mNNmMG
「表1①は「チベット」を地域の表現に用いた例を示したものである。/ 「チベット」を用いた表現には「岩手のチベット」、「日本のチベット」、「チベット地帯」、「秘境チベット」など様々な表現がある。昭和20年代では20例中14例が「岩手のチベット」および→ 同上 岡2004 https://t.co/wXe4OFjLwl https://t.co/VOMosnvtSN
→ しかし残念ながら等観は、その体験やチベット観について詳しく著すことに熱意を示さなかった。慧海がもたらしたチベットイメージを大きく変える一般向けの書物は、その後現れなかったのである。」 同上 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/wXe4OFjLwl https://t.co/ZpUgrhgibb
→これは慧海によって形成された日本人のチベット観への異議申し立てという側面を持っていたように感じられる。→ 同上 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/wXe4OFjLwl https://t.co/yUF2sDoXVJ
→『チベットの風俗について、「汚濁」「奇態」「不潔」といった表現をひんぱんに使い、…日本人の「秘境趣味」をおおいに満足させる要素にあふれていた』とし、/ている。→ 同上 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/DWKGL2ZM13 https://t.co/HpfwqbvxUF
→異なる文化が、面白おかしく取り上げられているが、こうした読み方が当時のチベットをめぐる風潮の中に存在していたのであろう。 江本(1994)は『日本のチベット観は河口の書によってかたちづくられた』と述べ→ 同上 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/DWKGL2ZM13 https://t.co/rLI7ot7pDe
→朝日、毎日、時事、読売、国民各新聞のほか、地方紙も連載した。講演依頼が殺到して各地で講演会が催され/た。 / 慧海が日本にもたらしたチベットのイメージは、必ずしも良いものだけではなかった。たとえば「團團西聞」(1903.9.12)では、/日本とは→ 同上岡恵介2004 https://t.co/DWKGL2ZM13 https://t.co/Pb24hdnzzB
「近代以降、日本人がチベットを身近な話題としたのは、河口慧海の「西藏旅行記」(1904、明治37年刊)が発表される明治終わりごろからだと思われる。/当時、鎖国して外国人を拒絶していたチベットに侵入した慧海の手記を→ 岡恵介『戦後復興期における「北上山地」像』2004 https://t.co/DWKGL2ZM13 https://t.co/lVSDoKhB0c
んで、ちょっと前に紹介したけど、その「チベット」呼称問題の起源について大牟羅はもちろん、島地大等〜多田等観〜宮澤賢治の岩手/盛岡仏教系文化人のラインと河口慧海の関係にまで踏み込んでる論文がこちら→ 戦後復興期における「北上山地」像 https://t.co/TrEMB1c6YU
安家に20年以上暮らしたという研究者による、こういうのなども。 戦後復興期における「北上山地」像 https://t.co/UX67IcC7ai

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