著者
佐々木 亨
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.32, pp.209-241, 2006-02-28

外装から口絵までは木版による合巻と同一でありながら、本文は活版、挿絵は数丁毎に上(下)段に置かれるものを、昭和初頭に三田村鳶魚氏等は東京式合巻と命名し、興津要氏もこの名称を用いて今日に至る。その嚆矢は明治十二年刊の高畠藍泉作『巷説児手柏』とされていた。しかしその前年藍泉は大阪に滞在し、その大阪では既に活字版を用いた小説類が作られ始めていた。摺付表紙を持つ本文は銅板のもの、挿絵が本文の上(下)段に配されるもの、見返しにおいて筆跡を伝えるべく木版にしたもの、連載の挿絵を転用しているもの、連載の母胎から単行本化されるもの等々、『児手柏』出現前に実験的な試みがなされている。しかもこれらの出版には、藍泉刎頸の友宇田川文海が関わっている如くである。藍泉はこれら大阪版の存在を換骨奪胎して、東京で商品価値を持ちそうな造本を工夫した可能性が高いのである。これらの先行する大阪版の存在が確認される以上、東京式合巻なる名称は不適切といわなければならない。また挿絵が毎丁配されていないものを合巻と呼ぶのも賛成できない。この際、活版草双紙なる名称を提案したい。草双紙の名称を用いる所以は、合巻との造本上における共通要素の残存と、建前として想定された読者層の一致である。実際、藍泉自身当時自らの著作を草双紙と呼んでいるのである。At the beginning of Showa Period, there was Tokyo-shiki Goukan named by Mitamura Engyo, and Okithu Kaname also used this name. But there had been the original version in the form of this style in Osaka. Takabatake Ransen remade Osaka version into Tokyo-shiki Goukan in older to have a commercial value in Tokyo. That is to say, Tokyo-shiki Goukan is not correct naming, because Ransen only arranged components of Osaka version to it.

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@taqqqqqqq9 佐々木亨「活版草双紙の誕生 ー大阪版ょり藍泉の独自性に及ぶー」https://t.co/elkWMuh4MD 高木元「草双紙の〈明治〉」https://t.co/jjAcSqElsM

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