著者
仁藤 敦史
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.50, pp.3-22, 1993-02-26

皇子宮とは、古代において大王宮以外に営まれた王族の宮のうち皇子が居住主体である宮を示す。本稿では、この皇子宮の経営主にはどのような王族が、どのような条件でなり得たのかを考察の目的とした。その結果、皇子宮の経営主体は大兄制と密接な関係にあるが、必ずしも大兄に限定されないことが確認できた。皇子宮の経営は、王位継承資格を有する王族内の有力者が担当し、とりわけ同母兄弟中の長子である大兄が経営主体になることが多かったが、それ以外にも、庶弟のなかで人格資質において卓越した人物が特に「皇弟(スメイロド)」と称されて、その経営権が承認されていた。穴穂部皇子・泊瀬仲王・軽皇子・大海人皇子・弓削皇子などがその実例と考えられる。「皇弟」は天皇の弟を示すという通説的解釈が存在するが、実際の用例を検討するならば、通説のように同母兄が大王位にある場合に用いられる例は意外に少なく、穴穂部皇子や弓削皇子など大兄以外の有力な皇子に対する称号として用いられるのが一般的であった。「皇弟(スメイロド)」の用字が天皇号の使用以前に遡れないとするならば、本来的には「大兄」の称号に対応して「大弟(オホイロド)」と称されていたことが推定される。ただし、大王と同じ世代のイロド皇子がすべて「皇弟」と称されたわけではないことに留意すべきであり、大兄でなくても、人格・資質において卓越した皇子が第二子以下に存在した場合に限り、こうした称号が補完的に用いられたと考えられる。「大兄の原理」のみにより王位継承は決定されるわけではなく、「皇弟の原理」とでも称すべき異母兄弟間の継承や人格・資質をも問題にする副次的・補完的な継承原理は「大兄の時代」とされる継体朝以降も底流として存在したことが推測されるのである。

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仁藤敦史「皇子宮の経営--大兄と皇弟--」 https://t.co/KJA39tiGM4 を読んでたけど難しくてよくわかりません(よわい)

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