著者
長谷川 成一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.237-255, 1995-11-30

本稿では,近世十三湊に関して,いずれも今後の研究を進める上で基礎となる,次の3点にわたる課題を掲げ,それらについて解明する作業を実施した。第1は,十三湊は近世に果たして「とさ」呼ばれていたのか,あるいは「じゅうさん」と呼ばれていたのか,すなわち訓読みなのか音読みなのかについて,従来の通説と各史料を再検討した。その結果「十三」は中世以来の「とさ」の呼称が本来なのであって,近世に入って次第に音読みのそれと併用されるようになった。江戸幕府から命じられた享和3年(1803)「陸奥国津軽郡村仮名附帳」の作成に際して,弘前藩が音読みを採用したことから,音読み「じゅうさん」が十三の地名呼称として定着した。そこには近世国家における漢字文化の普及によって漢字表示地名が呼称地名を変改してゆく姿が看取され,十三も例外ではなかった。第2は,十三津波伝承について,藩政時代には前代歴譜などに掲載された「興国元年の海嘯」伝承と津軽一統志等に見える白髭水伝承とは別個のものであった。しかし,近代にはいって両者の伝承が広く知られるようになったことから,次第に同じものとみなされるようになり,その結果1940年代には現在における「興国元年の海嘯」=白髭水,いわゆる十三津波伝承が形成されるようになった。第3は,近年注目を集めている「慶安元年極月 奥州十三之図」(函館市立図書館蔵)の年代について考証した。はぼ同様の時期と手法で描かれたであろうと推定される鰺ヶ沢・深浦の湊絵図(同館蔵)との比較考証の結果,天和3年(1683)以前の絵図であることは間違いなく,さらに慶安元年の年記を正確なものであると立証はできなかったが,17世紀前半の十三・鰺ヶ沢・深浦の各湊を描写したものと見て支障はないのではないか,という結論を得た。以上の3つの主題はいずれも相互に密接な関連をもつものとはいえないが,今後の近世十三湊の研究に際して決して見落としてはならない基本的な問題であろう。また中世十三湊を記す中世史料が決定的に不足している現況からすれば,十三湊に関する近世の史料類や絵図,伝承の再吟味は中世十三湊の解明に手掛かりを与えることが可能なのでないかと考えるのである。

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3. 近世十三湊(とさみなと)に関する基礎的考察(第7章 十三湊遺跡・福島城跡をめぐる論考) (1995) https://t.co/X871fwSRgr
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