著者
平川 南
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.118, pp.253-281, 2004-02-27

中世の幕府は、なぜ鎌倉の地に設置されたのか。おそらくは、鎌倉の地を経由する海上ルートは、中世以前に長い時間をかけて確立されてきたものと想定されるであろう。小稿の目的は、この歴史的ルートを検証することにある。最近発見された、三浦半島の付け根に位置する長柄・桜山古墳は、三浦半島から房総半島に至る四〜五世紀の前期古墳の分布ルートを鮮やかに証明したといえる。また、八〜九世紀には、道教的色彩の強い墨書人面土器が、伊豆半島の付け根の箱根田遺跡そして相模湾を経て房総半島の〝香取の海〟一帯の遺跡群で最も広範に分布し、さらに北上して陸奥国磐城地方から陸奥国府・多賀城の地に至っている。また古代末期の史料によれば、国司交替に際しても、相模―上総に至る海上ルートが公的に認められていたことがわかる。このルートは『日本書紀』『古事記』にみえるヤマトタケルの〝東征〟伝承コースと符合する。これは古東海道ルートといわれるものである。上記の事例の検討によって、ヤマトから東国への政治・軍事・経済そして文化などの伝来は、古墳時代以来伊豆半島・三浦半島・房総半島の付け根と海上を通る最短距離ルートを活用していたことが明らかになったといえる。この西から東への交流・物流の海上ルートの中継拠点が鎌倉の地である。中世の鎌倉幕府は、そうした海上ルートの中継拠点に設置され、西へ東へ存分に活動したと考えられる。

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