- 著者
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酒井 茂幸
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.130, pp.239-258, 2006-03-25
国立歴史民俗博物館蔵田中穣氏旧蔵『広幢集』(以下『広幢集』と略称)は、稿者により近時全文翻刻が公表された新出資料である。その資料的価値は、従来未詳であった、広幢の晩年の伝記的事蹟が明らかになるとともに、『広幢集』に記載のある兼載・心敬・顕天・用林顕材・岩城由隆・兼純との交流関係や相互の人的ネットワークが新たに判明するところに存する。本稿では、まず、これら六人の人物について『広幢集』の和歌の解釈をもとに、従来知られていた史(資)料と照合し、広幢を取り巻く地域社会の政治的・宗教的思潮の一端を叙述し、広幢を岩城の禅長寺出身の数寄の隠遁者と推定した。また、兼純の項において、岩城に拠点を置き、京都との往復によりその道の第一人者へ師事し、岩城氏ら在地の国人領主や戦国大名の扶助を受ける行動様式を、同時代の宗長・宗牧との差異性から指摘し、同様な行動様式が、兼純から長珊へと受け継がれていることを論述した。『広幢集』の特色に道歌や哀傷歌・追善歌等が多いことが挙げられるが、これは集中にも記される母の死を契機とした事象で、最晩年に至って広幢は禅僧への回帰を余儀なくされたのである。連歌師の家としての猪苗代家の源流は、広幢であり、その和歌・連歌の世界における活躍は、『広幢集』に描かれるとおりである。しかし、兼載が堯恵から古今伝授を受けており、兼純に『古今集』の講釈をする資格があったのに対して、広幢は誰からも古今伝授を受けていなかったため、兼純に古今伝授ができず、和歌の家、猪苗代家の創始者とはなり得なかった。古今伝授の師資相承に広幢の名が見えず、猪苗代家の系図からも広幢の名が消えていった。兼純が広幢から受け継ぎ、長柵に伝えた連歌師の一行動様式を掘り起こしたのが本稿である。