著者
酒井 茂幸
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.115-134, 2007-03-30

本稿は、近時、伝存が明らかになった、国立歴史民俗博物館蔵田中穣氏旧蔵『鷹歌等』所収「住吉 玉津島 高野山へ賢良御参詣時於路次人々」(内題、本稿では「賢良高野山参詣路次和歌」と仮称)を中心に、能登守護畠山氏の義忠(法名賢良)の主催した歌会の作者圏を調査し、歌会に集った公・武・僧の歌人達の階層や構成を探究したものである。田中本『鷹歌等』は、未整理の歌稿を書き抜いた歌群中に正徹の新出歌が一〇首含まれるなど、正徹関係の資料が多い。しかし、正徹の他撰家集『草根集』の編纂に近い段階の歌稿の抜書の転写であり、扱いには注意を要する。「賢良高野山参詣路次和歌」も、そうした一連の資料群に含まれるが、外部徴証から成立年次は文安三年(一四四六)を軸とする前後三、四年と推定される。本歌会の出詠者が正徹と堯孝の門弟格の歌僧に限られるのは特筆される。賢良が主催した歌会で独立した伝本が残るのは、他に『畠山匠作亭詩歌』と『瀟湘八景歌』があるが、いずれも歌道家や守護大名を中核に作者が構成されている。『畠山匠作亭詩歌』を基準に、義忠(賢良)の主催した歌会の出詠者を、『草根集』や『堯孝法印日記』などをもとに比較すると、幕府に直勤した奉公衆・御供衆などの武士階層が出家遁世し歌人として活躍しているケースも見出される。これは、専門歌人の門弟筋に限られた「賢良高野山参詣路次和歌」とも異なる人的構成である。『畠山匠作亭詩歌』と『瀟湘八景歌』からは、賢良の五山僧との親密な交友圏が知られ、賢良は歌人と五山僧が一堂に会する雅会の後援者的役割を担っていたと推測される。『草根集』には、歌会催行記事が確かに目立つが、漢詩と和歌がセットとなった雅会も催されている。賢良主催の歌会では、階層や歌道流派を超えた文芸の「場」が機能していたのである。

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【資料】国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリに、酒井茂幸氏の論文「文安・宝徳期の武家歌壇 : 能登守護畠山義忠と正徹」(国立歴史民俗博物館研究報告第136 2007/3/30)がpdfで公開されています。興味のある方はぜひ https://t.co/njw8XqT0tz

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