著者
長沢 利明
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.145, pp.373-412, 2008-11-30

現存する農民市としては東京都内最古の存在である世田谷のボロ市は、一五七八年(天正六年)における後北条氏の市立掟書の存在によって、そのことを確かめうる重要な地位を占めているが、当初よりそれは典型的な六斎市として成立していた。北条氏の没落した近世期には年に一度の歳の市となったが、彦根藩領内にあって代官の支配・統制下に置かれることとなった。近代期には村方の運営する農民市となり、改暦によって一月・一二月の二度の市立ともなっていったが、明治期にはボロ布市・筵市として知られるようになり、大正期には植木市としての発展もみた。近代産業の勃興と交通網の整備を通じ、前近代的な商品取引はしだいに一掃され、市場商人と地元との親密で特殊な相互関係も解消されていくこととなり、第二次大戦後には暴力団系テキヤ組織の介入を許す余地を与えることとなった。それゆえ戦後の市立の民主的な改革は、それらとの対決なくして実現することができず、粘り強い努力を通じて地元民はついに一九六五年(昭和四〇年)、ついにこれを達成するに至った。この成果によって今日のボロ市の運営基盤が形作られ、市立の現代化がなされていった。今日の出店構成に関する実態調査結果からも、改革後の特色ある業種実態、出店者の広域化、地元主導型の民主的運営形態の定着といった諸傾向を、そこに明確に見い出すことができる。

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興味深い文献を発見。世田谷のボロ市の発達史と現況 https://t.co/arcStk6QNz

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