著者
平山 昇
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.155, pp.151-172, 2010-03-15

本稿は、明治期から昭和初期までの西宮神社十日戎の変容過程を、鉄道の開業による参詣行事の変化、および神社と鉄道会社との関係に着目しながら検討した。もともと西宮神社十日戎はエビス神を信仰する農漁村民や都市商人たちを中心とする参詣行事であったが、「汽車」の開通によって徐々に都市部から行楽がてらに参詣する「普通の参詣人」が訪れるようになった。神社側もこの層を呼び込むべく自ら新聞を通じて都市部に向けて広報をするようになった。だが、もっとも重大な影響をもたらしたのは阪神電車の登場であった。この電鉄は、長らく寂れていた新暦十日戎を新たに「開拓」するなど種々の戦略によって参詣客の劇的な増加をもたらすという、沿線ディヴェロッパーとしての性格が強い鉄道会社であった。一方、阪神電車の大々的な乗客誘引によって都市部からの参詣客が大幅に増加していく状況を目の当たりにして、神社側も電鉄会社の強力な集客力を利用して都市部からの参詣客の増加を図るようになる。西宮神社の参詣行事は、もはや電鉄会社との協調関係抜きには考えられないものとなっていったのである。しかし、両者の関係は常に協調ばかりというわけにはいかなかった。電鉄にとっては運賃収入が増えればそれでよいが、神社にとっては伝統を厳守することも決してゆるがせにできなかった。そのため、時として両者の間で齟齬が生じることもあった。このように神社と電鉄会社の間に協調と駆け引きがせめぎあう中で、十日戎は今日の姿へと落ち着いていった。以上の検討から、日本近代の大都市における社寺参詣の変容過程を理解するためには、①鉄道の登場による変化、特に明治末期以降のディヴェロッパー志向の鉄道会社による変化、②もっぱら都市部からの参詣客の増加を志向する鉄道会社と伝統の維持も重視する神社との間に生じた協調と駆け引きがせめぎあう関係、という二点に注目することが有用であると結論づけた。

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「こともある」というのは、GoogleBooksに対する環境によるようです。 平山昇『鉄道が変えた社寺参詣』の、このあたりの記述の基になっているらしい、平山昇「明治・大正期の西宮神社十日戎」が、公開されていますね。 https://t.co/yEY1bhsHBn

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