著者
小野寺 拓也 山根 徹也 三ツ松 誠 平山 昇 森田 直子 池田 勇太
出版者
東京外国語大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究計画の目的は、近代社会において合理主義が進むなかで、にもかかわらず(あるいは、だからこそ)感情や情動といった「非合理的」とされる要素が果たす役割やそれが起動するメカニズムを明らかにすることである。具体的には、「感情体制」というマクロな構造を視野に入れつつ、エゴドキュメントという史料をもとにミクロにそのメカニズムを解明する。第一に19世紀の国民国家形成期と、20世紀前半の大衆社会や総力戦の時代の日本とドイツにおける多層的な「感情体制」のありようを明らかにする。第二に、多様なエゴドキュメントの分析を通じて、感情や直感が必要とされ人々の行動基準となっていくメカニズムを解明する。
著者
雛田 元紀 中島 俊 稲谷 芳文 平山 昇司 石井 信明 平木 講儒 矢島 信之 山上 隆正 松坂 幸彦 鳥海 道彦 他気球グループ
出版者
宇宙科学研究所
雑誌
宇宙科学研究所報告. 特集: 大気球研究報告 (ISSN:02859920)
巻号頁・発行日
no.32, pp.37-45, 1995-03

1992年9月2日, 高度約31kmに浮遊した気球(B30-62)から自由落下させたカプセルを使って超音速パラシュート開傘試験を行った。気球ゴンドラからの分離から約52秒後にカプセルが最高速度(マッハ1.3)に達した時点で半球リボン傘(ヘミスフロパラシュート)を放出, 開傘時の機体加速度や圧力などを測定した。また, カプセル内部に搭載したCCDカメラによって超/遷音速流中におけるパラシュートの振動や安定性を撮像した。気球による超音速パラシュート実験は引き続いて行われる観測ロケット(S-520-16号機)実験の事前評価を行うための予備的な飛翔実験として実施され, 気球実験結果に基づいてロケット実験を行う際に重要となるパラシュートの開傘秒時や放出速度を決定した。資料番号: SA0167055000
著者
平山 昇
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.155, pp.151-172, 2010-03

本稿は、明治期から昭和初期までの西宮神社十日戎の変容過程を、鉄道の開業による参詣行事の変化、および神社と鉄道会社との関係に着目しながら検討した。もともと西宮神社十日戎はエビス神を信仰する農漁村民や都市商人たちを中心とする参詣行事であったが、「汽車」の開通によって徐々に都市部から行楽がてらに参詣する「普通の参詣人」が訪れるようになった。神社側もこの層を呼び込むべく自ら新聞を通じて都市部に向けて広報をするようになった。だが、もっとも重大な影響をもたらしたのは阪神電車の登場であった。この電鉄は、長らく寂れていた新暦十日戎を新たに「開拓」するなど種々の戦略によって参詣客の劇的な増加をもたらすという、沿線ディヴェロッパーとしての性格が強い鉄道会社であった。一方、阪神電車の大々的な乗客誘引によって都市部からの参詣客が大幅に増加していく状況を目の当たりにして、神社側も電鉄会社の強力な集客力を利用して都市部からの参詣客の増加を図るようになる。西宮神社の参詣行事は、もはや電鉄会社との協調関係抜きには考えられないものとなっていったのである。しかし、両者の関係は常に協調ばかりというわけにはいかなかった。電鉄にとっては運賃収入が増えればそれでよいが、神社にとっては伝統を厳守することも決してゆるがせにできなかった。そのため、時として両者の間で齟齬が生じることもあった。このように神社と電鉄会社の間に協調と駆け引きがせめぎあう中で、十日戎は今日の姿へと落ち着いていった。以上の検討から、日本近代の大都市における社寺参詣の変容過程を理解するためには、①鉄道の登場による変化、特に明治末期以降のディヴェロッパー志向の鉄道会社による変化、②もっぱら都市部からの参詣客の増加を志向する鉄道会社と伝統の維持も重視する神社との間に生じた協調と駆け引きがせめぎあう関係、という二点に注目することが有用であると結論づけた。This article aims to examine how Toka Ebisu Festival - an annual prayer event held at Nishinomiya Jinja between January 9 and 11 - changed during the period from the Meiji era to the beginning of the Showa era, mainly focusing on the changes caused by the opening of a railway and the relation between the railway company and the shrine.Soon after the dawn of the Meiji Period, due to the opening of a state-run railway, more and more urban dwellers joined the festival, which made the shrine interested in attracting them. However, what played a decisive role was Hanshin Electric Railway (HER) , a private railway company which opened toward the end of the Meiji era. HER not only made the shrine more accessible to urban dwellers, but also, by making various attempts to attract as many people as possible, rendered the event dramatically more popular than ever before, which means HER was a developer as well as a transportation enterprise. In response, the shrine began to seek to be more prosperous in cooperation with HER.However, the shrine and HER were not always on good terms because the former regarded both its prosperity and the preservation of its traditional rituals as essential, while all the latter hoped for was to increase its revenue. Thus there sometimes occurred a conflict between them.Having the process above in mind, the author concludes that, in order to analyze the process in which annual prayer events in and around urban cities changed into the way they are at present, it is essential to focus on the following two aspects - ( ⅰ) changes caused by the opening of a railway company, especially one which not only offered better access to shrines but also acted as a developer producing or arranging annual events. ( ⅱ) the cooperation / conflict relation between a shrine and a railway company, the former trying to preserve tradition and the latter only seeking to be economically successful.
著者
平山 昇
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.155, pp.151-172, 2010-03-15

本稿は、明治期から昭和初期までの西宮神社十日戎の変容過程を、鉄道の開業による参詣行事の変化、および神社と鉄道会社との関係に着目しながら検討した。もともと西宮神社十日戎はエビス神を信仰する農漁村民や都市商人たちを中心とする参詣行事であったが、「汽車」の開通によって徐々に都市部から行楽がてらに参詣する「普通の参詣人」が訪れるようになった。神社側もこの層を呼び込むべく自ら新聞を通じて都市部に向けて広報をするようになった。だが、もっとも重大な影響をもたらしたのは阪神電車の登場であった。この電鉄は、長らく寂れていた新暦十日戎を新たに「開拓」するなど種々の戦略によって参詣客の劇的な増加をもたらすという、沿線ディヴェロッパーとしての性格が強い鉄道会社であった。一方、阪神電車の大々的な乗客誘引によって都市部からの参詣客が大幅に増加していく状況を目の当たりにして、神社側も電鉄会社の強力な集客力を利用して都市部からの参詣客の増加を図るようになる。西宮神社の参詣行事は、もはや電鉄会社との協調関係抜きには考えられないものとなっていったのである。しかし、両者の関係は常に協調ばかりというわけにはいかなかった。電鉄にとっては運賃収入が増えればそれでよいが、神社にとっては伝統を厳守することも決してゆるがせにできなかった。そのため、時として両者の間で齟齬が生じることもあった。このように神社と電鉄会社の間に協調と駆け引きがせめぎあう中で、十日戎は今日の姿へと落ち着いていった。以上の検討から、日本近代の大都市における社寺参詣の変容過程を理解するためには、①鉄道の登場による変化、特に明治末期以降のディヴェロッパー志向の鉄道会社による変化、②もっぱら都市部からの参詣客の増加を志向する鉄道会社と伝統の維持も重視する神社との間に生じた協調と駆け引きがせめぎあう関係、という二点に注目することが有用であると結論づけた。
著者
並木 道義 松坂 幸彦 鳥海 道彦 内田 右武 平山 昇司 小松 俊郎 本田 秀之 井筒 直樹 齋藤 芳隆 太田 茂雄 山上 隆正 廣澤 春任 松本 敏雄 兒玉 康資 本間 容博
出版者
宇宙航空研究開発機構
雑誌
宇宙科学研究所報告. 特集 (ISSN:02859920)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.25-34, 2001-02

宇宙科学研究所三陸大気球観測所では,スタティック放球方式の一種である立て上げ放球方式を用いて,数多くの大気球の放球を成功させてきた。近年,大型気球の需要が高まり,放球方法の改善と放球場の拡張が必要となっていた。1998年に我々は,新しい大型気球放球装置を用いた放球方法であるセミ・ダイナミック放球方式を開発した。この放球方式は,ガス注入後,ローラー車から気球を解放することによって一気に気球を立て上げ,気球が,観測器直上を固定している大型放球装置の直上にきたとき,大型放球装置から観測器を解放する,という手順で放球を行う。徐々に立てあげていた従来の方式と比べて,ローラーで立て上げて行くときに皮膜を傷つける心配がなくなること,放球作業の時間短縮ができることが利点である。1998年(平成10年)に,飛揚場の先端部分を20m延長し,その延長したほぼ中心部に直径 6 mの回転テーブルを備えた大型気球放球装置を製作した。本ランチャーは,回転テーブルに固定されており,放球時の風向きに合わせて旋回する事が出来る。また,ランチャーに備えた昇降装置により,地面から高さ5mまで観測装置を持ち上げることが可能である。これにより,B1000クラスの大型気球の放球が可能となった。1999年9月6日にこの大型気球放球装置を用いて,最初のテスト気球を放球することに成功し,放球方法および装置の有効性が確認された。