- 著者
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真野 純子
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.161, pp.89-150, 2011-03-15
滋賀県野洲市三上のずいき祭りは宮座として知られるが、本稿では、公文と座を訴訟文書や伝承記録などから検証するとともに、現在の芝原式の儀礼のなかに何がこめられているのかをあきらかにした。ずいき祭りでは、長之家・東・西の三組から頭人が上座・下座の二人ずつでて(一九五一年からは長之家は一人)、ずいき神輿・花びら餅の神饌を準備し、東と西の頭人は芝原式での相撲役を身内からだして奉仕する。それら頭人を選出するのは、各組に一人ずついる公文の役目である。公文は家筋で固定し、各組(座)でおこなう頭渡しだけでなく、芝原式にたちあい、実質上、それらを差配している。芝原式の儀礼には、公文から総公文への頭人差定状の提出、花びら籠(犂耕での牛の口輪)という直截な勧農姿勢、猿田彦をとおして授けられる神の息吹といった中世の世界観がこめられていたことがわかった。また、公文・政所という用語の使われ方が時代とともに変化していくことを指摘したうえで、中近世移行期での公文・政所を特定した。彼らが訴訟や年貢の収納事務にたずさわり、文書を保管する職務についていたこと、在地の地主層で下人を抱える殿衆であったことなどをあきらかにした。長之家は庁屋を、東と西は神前の芝原に座る方角をさしているものの、公文の考察から、相撲神事の編成が荘園の収納機構と深くかかわっており、長之家は御上神社社領、東は三上庄、西は三上庄内の散所を原点に出発していると考えられる。神事再興の一五六一年(永禄四)以来、頭人には下人、入りびとをも含むため、開放的な宮座として知られるが、それは屋敷を基準に頭人を選定していく公事のやり方であり、神事には相当な負担が強いられた。三上庄の実質的管理責任者である公文が頭人を差定して、その頭人に神饌やら相撲奉仕の役をあてがい、神饌を地主神に供えることで在所の豊饒と安泰を願うという祭りであったことを実証した。