著者
菱沼 一憲
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.182, pp.147-164, 2014-01-31

上野国桐生下広沢村の彦部家の足利将軍家旧臣活動の分析を通じて、近世の身分制における由緒の機能を明らかにし、旧臣活動の背景にある社会運動を浮かび上がらせる。彦部家は同村の有力百姓で、村役人に任じられていた。しかし高階姓で、室町・戦国期には、足利将軍家の近習の武士として京都で活動し、戦国末期に同村へ土着したと伝える。戦国期、同地へ土着するに際し、戦国大名由良氏より広沢郷内に千疋を宛行われたという領主としての由緒、関ヶ原の合戦で旗絹・旗竿を献上したという桐生領五四ヶ村の由緒は、それぞれ村支配、絹織物産業を支える理論として機能した。いわゆる「家の由緒」「村の由緒」である。これに対して足利将軍家の旧臣として会津藩士坂本家と交流した活動は、その目的が必ずしも明確ではない。坂本家は足利義昭の曾孫で牢人であった義邵が、神道学・軍学・有職故実に通じて会津藩主保科正容に求められて同藩に仕官した。足利鑁阿寺がこの坂本家と、彦部家を仲介し旧臣関係が構築され、それにより御目見・御見舞・裃や感状の下賜・一字拝領といった恩賞給付がなされた。そもそも彦部家は、京都西陣から高度な織物の技術を導入し、また文芸の面では、江戸の国学者を桐生へ招き、また出府して中央の文化を吸収し、桐生国学を興隆させるなど、中央の文明・文化を積極的に導入・吸収することにより家の繁栄をもたらしてきたのである。坂本家との旧臣活動もまた、同家に蓄積されていた先進的で高度な文化に触れ、それに倣ってゆくことが一つの目的であったと考えられる。幕末期、彦部家は嫡子を幕臣とし、武家へ養子に入れており、同家が身分の上昇に執心していたことは明らかであるが、これを単に、幕藩体制での身分秩序を下支えするものと理解することは正しくない。武家による政治・経済・文化の一元的な独占体制への抵抗であり、独占されていたそれらを獲得してゆくという積極的な面を評価すべきである。こうした動向は、幕府支配体制の相対化という意味で、草莽運動と質的な共通性を見出すことができ、また彦部家のみならず東関東で広く確認される社会的動向といえる。

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【資料】国立歴史民俗博物館学術情報リポジトリに、菱沼一憲氏の論考「桐生彦部家の足利将軍家旧臣活動」(国立歴史民俗博物館研究報告第182集 2014/1/31)がpdfで公開されています。興味のある方はぜひ https://t.co/2NDSNt7IYs

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