著者
杉浦 一雄
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.66-48, 2009-03
出版者
千葉商科大学国府台学会
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.1-150, 2022-07-31
著者
三枝 昌幸
出版者
千葉商科大学国府台学会
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.59, no.2, pp.155-172, 2021-11-30
著者
朱 全安
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.69-92, 2004-03

本論考では,長崎唐通事の家系の出身者で,後に幕府の儒者として新井白石・室鳩巣ら木下順庵門下の同学と同時期に活躍した深見玄岱を取り上げ,従来,書家としてしか注目されてこなかった彼が,実はその中国語能力によって学問と実務において活躍し,江戸時代の中国語の受容史における長崎唐通事の流れと内地の儒学者の流れを結び付ける役割を果したことを明らかにした。
著者
相良 陽一郎 相良 麻里
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.37-59, 2006-03

本研究では,青年期前および青年期全般における自己愛と攻撃性の関係について横断的に検討するため,572名の小学生・中学生・高校生・大学生を対象に,NPI-SとBAQにより自己愛傾向と攻撃性を測定し,下位尺度を含めた両尺度間の相関を年齢群ごとに検討した。その結果,自己愛が高いと攻撃性も高くなるという,先行研究と一致した結果が得られたほか,これまであまり検討されていない発達的な側面についての知見も得ることができた。しかし新たな問題も見出されたため,今後検討すべき課題についても指摘した。
著者
郭 莉莉
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.45, no.1, pp.43-57, 2007-09

人々を警(いまし)めるための格言が収録された『小窓幽記』は,陳継儒(1558〜1639)によって編纂され,出版当時,文人ならびに一般の人々に歓迎され好評を博した。『小窓幽記』は格言を綴る形式を用いた,晩明の「清言」作品である。「清言」という形式の著作は南北朝の『世説新語』から始まり,唐代と宋代には禅憎,儒者の語録作品が数多く存在する。明代の末期になると,性霊の表現を追求する文学風潮の影響で,独特かつ文学価値の高い「清言」作品が続出した。『小窓幽記』の他に,陳継儒の「清言」作品には『岩棲幽事』,『安得長者言』,『太平清話』,『狂夫之言』などがあり,同じ「清言」の作者に大きな影響を与えた。明代や清代の「清言」作品の中で一番広く知られているものは『菜根譚』であり,版本の違う日本語訳注を入手することは容易である。それに比べ,思想内容や文学形式の面から見てもそれに価値相当する『小窓幽記』の解釈は少ない。本稿は「素」「豪」「奇」の部から30条を選び,訳注を付ける。
著者
貝塚 泰幸
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.133-146, 2015-03
著者
川口 顯弘
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.35-48, 2004-03-31

学習意欲が欠如している大量の学生群を相手に,はたしてどんな授業が可能だろうか。私見によれば勉学意欲をもたぬ学生相手の現下一般の授業は,「ごっこ授業」であるか 「多数派黙殺(見殺し)授業」の二つしかない。両者はともに本物の教育とは言えないが,少なくとも前者については,これを単に否定するのではなく,積極的に評価すべきである。たとえば見かけ上は多少の努力や勉強(一例。インターネットで検索させる)を要求し,それなりの達成感や満足感を味あわせつつ,じつは予習も復習も必要ではないため学生にとっては全然なんの苦労もない授業を想定してみよう。いわばただの遊びに過ぎないこうした授業(勉強ごっこの「ごっこ授業」)には,どんな学生も容易に授業参加が可能である。しかしその結果,授業自体に対する関心が芽生え,その中からさらに本格的な勉学を志すものが必ず現れるとすれば,こんにち我々に可能な唯一の教育は,この方法による以外ないのではないか。我々としても伝統的な授業に対する未練は断ちがたいものがあるが,現状を直視し,敢えてこの「ごっこ授業」をより効果的に推進すべきである,と私は考える。
著者
田中 香澄
出版者
千葉商科大学
雑誌
千葉商大紀要 (ISSN:03854566)
巻号頁・発行日
vol.42, no.4, pp.51-68, 2005-03-31

ドイツの詩人リルケの50年余の生涯のなかで彼の優れた詩の世界の解明にあたって,当時の多くの優れた精神の持ち主たちとの彼独特の心豊かな出会いと西の世界の各地の特色ある自然や町々との出会いの数々が絶えず重要な核心を形成し,その詩的精神の展開を極めて多彩なものにしていることを抜きにしては何事も語れない。その中でもフランスの彫刻家ロダンとの出会いと豊かな心の交流はリルケの"事物詩"という概念を理解するためには避けて通れないものである。この研究はリルケの「ロダン論」の一端に触れながら,今後のリルケ研究の第一段階としてまとめたものである。最終的にはリルケの最高にして最後の作品「ドゥイノの悲歌」の豊かな解明へ向けて,各局面におけるリルケと人々や町々との出会いを克明に追いながらリルケの詩の本質の今後の研究を推し進めてゆきたい。