著者
駒沢 治夫
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.54-55, 1968-04-09

パラフィン・バス 熱源としては交流を用い,バスの形・大きさは2種類のものが製造されている。バスの内部は腐蝕しないような金属を使用し,底部は特に患部が直接触れても火傷を起こさないように断熱材を用いてある。 バスの容量は製造会社によって異なるが,大体19kg(酒井),と35kg(八重洲)の2種類が良く使用されている。固形パラフィンは医療器店で発売しており,融点42~43℃のものは流動パラフィンを混合する必要がないが,46℃のものは固形パラフィン35kgに流動パラフィンを約1l入れれば良い。なお固形パラフィンは工業用としても発売されている。
著者
潮見 泰蔵 丸山 仁司 秋山 純和
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.693-694, 1987-10-15

Ⅰ.初めに 床上における種々の移動動作は,その移動形態から,いざる(shuffling),這(は)う(creeping),歩く(walking)などに大別することができる.その中でも,横いざり(片麻痺型),四つ這い,膝歩きは,脳卒中片麻痺患者や脳性麻痺児をはじめ,種々の運動障害者の床上における移動手段および訓練方法として,しばしば用いられる.これらの動作は,直立歩行と比べ,低重心かつ広支持基底面をもつ点では共通しているが,推進する際の上下肢の使われかたは,各動作で大幅に異なっている.したがって,この差異がエネルギー消費に及ぼす影響も大きいのではないかと推察される.一方,移動動作が実用化するか否かについては,その動作に要するエネルギー消費に関連するとも言われる.そこで,今回,いざり,四つ這い,膝歩きについて,これら三つの動作の運動強度を比較・検討するための基礎的資料を得ることを目的に,物理的負荷量を一定にした場合の各動作のエネルギー消費などを測定したので報告する.

1 0 0 0 OA 編集後記

著者
鈴木 明子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.553, 1977-07-15

今回は,訪問指導や通園施設での理学療法士と作業療法士の体験を特集にした.病院からの延長線としてアフターケアをしている場合や親しくチームを組んで実際に在宅患者へサービスする場合も,また通園施設で働らくのもみんな「地域での医療サービス」という形に入れられる.数知れぬ受療対象者が,こちらの活動開始を待っている時代ともいえる. 高田氏は,体制づくりの重要さを指摘し,石井氏は,新しい姿をもたなければならない事態に対面し,率直に模索する気持を表わしている.大峯氏・他による家屋改造の写真もよいヒントとなったし,大村氏も新しい形の接し方を記している.宮崎氏・他は,実験的とも呼べる方法で活動する中から,協力体制づくりで幅広く,着実な仕事をし,報告してある.

1 0 0 0 OA 編集後記

著者
鈴木 明子
出版者
医学書院
雑誌
理学療法と作業療法 (ISSN:03869849)
巻号頁・発行日
vol.10, no.11, pp.892, 1976-11-15

わが国のPT・OTの歴史について特集号を組んだ.これ迄にいろいろな立場の方が,この2職種の誕生について「外来の血が混っている」とか「純枠に日本製である」とか主張されていた.前者の場合には明治20年代の軍医の橋本乗晃によって医療マッサージが,明治34年呉秀三がドイツ留学から帰国して手や足革を取り除いて裁縫などをさせることで移入したのが始まりのようである.そのまま大正を過ぎ第二次大戦終戦後,昭和24年に小池文英先生,また水野祥太郎先生が海外に出られて欧米の身体障害音のリハビリテーションを視察され,より広義の治療理念と技術を日本で発達させる努力をなさった.昭和38年に清瀬の地に養成校を建て厚生省は外人講師で教育を始めた. 後者の場合には11世紀に京都岩倉村の大雲寺へ皇女の奇行を治すために送り,観世音に祈ることで病気を治すことができ,以来時の権力者(皇族,武士,富裕な町人など)の親族が岩倉村にいき,住民の家の離れに分散して住みながら大雲寺で祈ったり,水ごおりをとったという. (鈴木明子)
著者
砂原 茂一
出版者
医学書院
雑誌
理学療法と作業療法 (ISSN:03869849)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.186, 1988-03-15

これは著者がリハビリテーション(リハと略す)の理念を扱った二番目の著書である.前著『リハを考える』ではいささか肩肘を張っていたし,理論が理論として扱われていた趣があったが,本書では理論がいちいち具体的な事実,事例によって豊富かつ適切に裏打ちされているから,たいへん理解しやすいだけでなく,直ちに日常診療の指針として役だつと思われる.理論を扱いながら同時に実用書としても有効に機能するというのは著者の腕前であろう.油の乗り切った,臨床の修羅(しゅら)場で縦横に活躍を続けている実践家の著書には理論を説いてもそれだけの臨場感があふれるものである.