- 著者
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佐藤 節子
- 出版者
- 日本法哲学会
- 雑誌
- 法哲学年報 (ISSN:03872890)
- 巻号頁・発行日
- vol.1984, pp.49-70, 1985-10-20 (Released:2008-11-17)
- 参考文献数
- 6
国の立法が、また私人の立法が意思の表示であるとされた歴史的起源は十七、八世紀の自然法論にある。ヘェーガアシュトレームによればローマ法は意思表示の概念をもたない。ローマにおける売買の方式である握取行為 (manci patio) では、権利の変動は厳格な言葉と厳格な儀式によってもたらされた。成人に達したローマ市民五名と銅衡器保持者の前で、買主は売買の客体である奴隷を握り、「私はローマ市民の法によってこの奴隷が自分のものであると宣言する。この者はこの銅片と銅衡器によって買いとられよ」という定められた式語を唱え、その後で売主に銅片を交付する。この銅衡器による儀式において、奴隷を握り「……買いとられよ (mihi emptus esto) という文言が発せられたときに、所有権は売主から買主へ確実に移転する。この象徴的行為の履行とこの一定言語の表出に小さな欠陥でもあれば所有権の移転という効果は発生しない。一定の言葉と象徴的行為とが買主と奴隷との間に目に見えない絆 (unsichtbar Band) を発生させるのである。それが買主の所有権である。権利者にとってそれは目的物を支配する力である。その目的物が毀損されたり、債務者の債務の履行が不完全な仕方でなされたとき、債権者が訴訟を提起しうる可能性はこの絆から生じる。ヘェーガァシュトレームは握取行為によって代表される権利の変動を呪術行為と呼んだ。それはrepräentativ Magie とWort Magie の所産だからである。かかる法律行為の全過程を通じて行為者の意思は全く問題にされていない。 しかし、ヘェーガァシュトレームによれば、ローマ法においても法律行為に関して意思が問われるであろうと考えられる事例が一つある。それは遺言の場合である。ウルピアヌスによれば遺言は我々の意思の表示 (contestatio mentis nostrae, voluntatis nostrae) だとされる。しかしヘェーガァシュトレームは、これは意思の表示ではなくして願望の表明でしかないという。その理由として彼は次のことを提示する。ガイウスによれば「私は欲する」(volo) は信託遺贈 (fideicommissum) における正しい表現である。しかし信託遺贈は私法上の効力をもたない。「私はティティウスが相続人であることを欲する」(volo titius heres esse) という表示は無効である。すなわち遺言が願望の意味における意思表示であるならばその遺言は効力をもたないのである。遺言は遺言者が死後の自分の財産について、これこれのことを望むということをステートする表示ではないからである。遺言の正しい定式は「ティティウスは相続人たるべし」(Titius heres esto) である。それは遺言者の欲するところを命ずるという意味においてのみ彼の願望の表明である。しかしここに「命ずる」は誰かに命令を下すことではなくしてティティウスを相続人たらしめることである。 ローマ法の呪術行為は後に意思行為にとって代わられた。意思理論によれば、言葉と行為が法的効果をもたらすのではなくして、それは行為者の意思それ自体から生ずる。この理論は近世自然法論者によって体系的に展開された。その代表的人物であるグロティウスは次のようにいう。 自然状態における各人は彼のものsuum、彼に固有の領域propria cuiqueを有する。それは各人の生命vita身体membraおよび自由libertasである。suumは各人の人格であり、自然法によって保護された領域である。他の人のsuumに対する攻撃は侵害行為であり、それゆえ不正injustumである。かかる原初的suumは消費使用すべく占取するという行為によって、自己の人格の外にある物質的な物を包含するまで拡大されえたのである。自己の人格はかく取得された物の上にまで伸長され、人格と物との間に精神的結合が生ずる。所有者はそれを支配する力potestas, facultasをもつ。同時に自由なる主体は自分の行為を支配決定する力potestas in seを有する。かかる力をもつ主体が自由なる主体である。ところで自己の行為を決定する力の中には、自己の行為を決定する力の一部分を自己から切り取り、それを他人に移転させる力も当然に含まれている。potestas in se の譲渡は約束という意思行為によってなされる。それによって自己の potestas in se の一部分は相手方の otestas in se の中にはいる。金銭の支払いを約束するとき、要約者の potestas in se の中から、金銭の支払いという行為に対する自己の決定権は諾約者に移転し、それゆえ彼にはその部分の自由は存在しなくなる。所有権の譲渡もこれと同じように説明される。自己を支配する力の中に自己を支配する力の一部分を他人に譲渡しうる力が含まれているように、所有権の中には所有権譲渡の可能性が含まれている。それは所有権に固有の権利である。