著者
辻野 裕紀
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 = Journal of the Academic Association of Koreanology in Japan (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
vol.240, pp.25-66, 2016-07

本稿は,辻野裕紀(2014b)に引き続き,現代朝鮮語における,若年層(20代)ソウル方言話者の〈n挿入〉の実現実態について,記述,分析するものである。本稿では,特に外来語,混種語,いわゆる「語+レベルの複合語」,句について論じた。まず,外来語においては,後行要素の頭音が〈n挿入〉実現如何に最も大きく関わっている。後行要素の頭音が/y/の場合は(n挿入〉が起きやすく,/i/の場合は〈n挿入〉がほとんど起きない。また,先行要素の末音や語構造(枝分かれ構造),語の長さなども(n挿入〉実現如何に関与している。混種語においては,後行要素の語種が〈n挿入〉実現如何を統べる。つまり,後行要素が固有語であれば固有語合成語仁漢字語であれば漢字語合成語と,外来語であれば外来語合成語と類似した振る舞いをする。いわゆる「語+レベルの複合語」でも,後行要素の頭音が〈n挿入〉実現如何に最も大きく関わっている。語を問わず休止を志向するインフォーマントがいた点が他の漢字語合成語との違いだが必ず休止を伴わなければならない日本語の語+レベルの複合語とは性質が大きく異なる。句については,語の場合と異なり,発話速度や句の長さ,助詞の介在などの影響で休止実現率が高い句が散見されるものの全体的な傾向としては,後行要素の頭音が〈n挿入〉の実現如何に最も大きく関与するなど,語の場合とよく似た傾向が観察された。以上の結果は,いずれも辻野裕紀(2014b)で明らかにした固有語や漢字語の〈n挿入〉実現様相と類似している。
著者
藤井 賢二
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
vol.185, pp.73-112, 2002-10
著者
森 克己
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
no.14, pp.545-556, 1959-10
著者
中村 拓
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
no.39, pp.530-458, 1966-04
著者
三枝 寿勝
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
no.137, pp.p47-113, 1990-10
著者
波田野 節子
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
no.139, pp.p71-101, 1991-04

この小論で考察するのは、李光洙の中学時代を中心とするごく初期の作品である。現在まで李光洙の初期創作については多くの研究がなされているが、それらはすべて中学と大学の二度にわたる留学時代を一括して論じており、中学時代だけを別に扱ったものはみあたらない。しかしながら、あいだに五山学校と大陸放浪をはさみ、思想的な変転のきわめて激しい、いわば李光洙の「疾風怒涛」ともいうべきこの時代は、もっと詳しい時期区分による考察を要すると思われる。とりわけ李光洙が自我に目覚め、文章行為を開始した明治学院中学時代は、作家の原点としてもっとも変更な時期であるにもかかわらず、従来軽視されてきたと言わざるをえない。本稿では全集に未収の作品も含めて李光洙のこの時代の著作を検討し、それらを通して現れてくる自我覚醒の様相から、李光洙の作家としての出発点の世界観を明らかにしていきたい。本稿で対象とする作品は、一九〇八年五月から一九一〇年八月までの二年三ケ月のあいだ、すなわち李光洙が明治学院中学四年生と五年生、および中学卒業後に五山学校で合邦を迎えるまでに発表した作品である。
著者
波田野 節子
出版者
朝鮮学会
雑誌
朝鮮学報 (ISSN:05779766)
巻号頁・発行日
no.143, pp.p57-107, 1992-04

李光洙は自分が明治学院中学時代にどのような奮物に接したか、どの作家のどの作品に感銘をうけたかを、いくつかの回想録に書きのこしている。本稿ではそれらの作品を具体的に調査し、その中で李光洙にもっとも強い印象を与えたと思われる作家と作品を明らかにし、それらが李光洙の最初期作品にどのような形であらわれているかを考察することで、中学時代の李光洙の世界観に近づこうと試みた。李光洙が中学時代の終わりころもっとも心酔していたのは、先輩の洪命憙のすすめで読んだ詩人バイロンであるが、その受容は日本主義者木村鷹太郎の日本語翻訳と解釈を媒介としていた。日清・日露戦争のはざまの明治三〇年代に日本がおかれていた状況を反映する木村の危機意識は、李光洙の祖国が直面していた独立の危機と重なりあって李光洙に深い感銘をあたえ、それはやがて五山で合併をむかえたときに、李光洙が生存競争の非情を痛感して進化論を真理として受け入れる下地を準備することになった。一方、木村のバイロン解釈は、日本留学中の魯迅にも強い印象をあたえた。バイロンがうたった強大な意志力を、国民に独立の気概をあたえる詩人の叫びとして功利的に考えた点は、木村も李光洙も魯迅も共通している。しかし、日露戦争の勝利で列強に並んだと自認した日本では「バイロン熱」は急速に色褪せ、進化論の「力の論理」を受け入れた李光洙が祖国を強者にするための準備論へと進んだのに反し、日本留学以前すでに進化論にであっていた魯迅は、人間の絶対的な意志による進化論克服の道を模索していった。