- 著者
-
波田野 節子
- 出版者
- 朝鮮学会
- 雑誌
- 朝鮮学報 (ISSN:05779766)
- 巻号頁・発行日
- no.143, pp.p57-107, 1992-04
李光洙は自分が明治学院中学時代にどのような奮物に接したか、どの作家のどの作品に感銘をうけたかを、いくつかの回想録に書きのこしている。本稿ではそれらの作品を具体的に調査し、その中で李光洙にもっとも強い印象を与えたと思われる作家と作品を明らかにし、それらが李光洙の最初期作品にどのような形であらわれているかを考察することで、中学時代の李光洙の世界観に近づこうと試みた。李光洙が中学時代の終わりころもっとも心酔していたのは、先輩の洪命憙のすすめで読んだ詩人バイロンであるが、その受容は日本主義者木村鷹太郎の日本語翻訳と解釈を媒介としていた。日清・日露戦争のはざまの明治三〇年代に日本がおかれていた状況を反映する木村の危機意識は、李光洙の祖国が直面していた独立の危機と重なりあって李光洙に深い感銘をあたえ、それはやがて五山で合併をむかえたときに、李光洙が生存競争の非情を痛感して進化論を真理として受け入れる下地を準備することになった。一方、木村のバイロン解釈は、日本留学中の魯迅にも強い印象をあたえた。バイロンがうたった強大な意志力を、国民に独立の気概をあたえる詩人の叫びとして功利的に考えた点は、木村も李光洙も魯迅も共通している。しかし、日露戦争の勝利で列強に並んだと自認した日本では「バイロン熱」は急速に色褪せ、進化論の「力の論理」を受け入れた李光洙が祖国を強者にするための準備論へと進んだのに反し、日本留学以前すでに進化論にであっていた魯迅は、人間の絶対的な意志による進化論克服の道を模索していった。