著者
新山カリツキ 富美子
出版者
藤女子大学
雑誌
紀要 (ISSN:13483870)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.59-88, 2001-03-31

聖母マリアの母,聖アンナを尊ぶ風潮は,東方教会においては6世紀以来存在するが,西方教会においてはようやく10世紀になって認められた。聖アンナの祝日は1481年に教皇シクストゥス4世によってローマ暦に採り入れられ,1584年に教皇グレゴリウス13世によって7月26日と定められた。聖アンナは貴婦人として描かれ,聖母マリアと幼子イエズスを両手に抱いて守っている姿(Anna Selbdritt)が多くの絵や彫刻に表されている。ドイツ語圏で最も古い女子修道院であるノンベルク修道院は,714年の創立以来,聖母マリアへの崇敬を守っているが,マリアの母である聖アンナに対する崇敬も大切にしている。14世紀から16世紀にかけて,8名の修道院長がアンナを名乗っていることも,その現れの一つである。また,数々の絵や彫刻はもとより,アンナの祝日が典礼上いかに守られてきたかは,現存する中世の写本や修道院の記録にもうかがうことができる。その中でも興味深いのが3つの賛歌(Hymnen)と,1600年頃に書かれた,アンナの時祷(Officium)のドイツ語訳祈祷書(Cod.23 E17)である。ここでは,特に3つの賛歌(ノンベルクの2冊の賛歌集の中で,一人の聖人のための賛歌が3つも収められているのは,聖アンナの場合のみである)について,テキストにおいてもメロディにおいても,ノンベルクの修道女たちによって書き換えられた箇所を,他の写本と比較し,検討を加えた。聖母の母である聖アンナは,特に女性にとって崇敬の対象とされ,彼女の祝日のためのテキストや音楽は,ノンベルクのみならず,当時のザルツブルクに存在したペータースフラウエン女子修道院の写本にも残されている。