著者
岩本 直樹
出版者
香川大学
雑誌
香川大学教育研究 (ISSN:13490001)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.101-112, 2007-03
被引用文献数
1

新任採用、昇進、大学、研究所組織内部の教員、研究者、研究グループの生産性の評価等において学術論文リストは研究業績を評価するための基礎資料として不可欠である。中でも、学術論文リストの中の「論文数」は一目瞭然で、分かりやすい具体的数字であるため、しばしば「生産性」の指標とされがちである。本稿ではWeb of Science^^<[○!R]>の中のScience Citation Index Expanded^<TM>を使い、論文の被引用回数を質の評価の基準に取り、サンプル集団について分析を行った。その結果、Web of Science^<[○!R]>に採択されているようなある一定の基準を満たした「世界で最も権威と影響力のある高品質な学術雑誌」に掲載された論文と言えども、「論文数」は論文の質とは全く関係がない場合が多くあることがわかった。引用回数を使うに当たっての注意すべき点、研究者個人の評価と、その個人が属する研究グループ、組織の評価との関係、特に共著論文の取り扱い等における問題点等を議論する。
著者
大久保 智生 西本 佳代
出版者
香川大学大学教育基盤センター
雑誌
香川大学教育研究 = Journal of higher education and research, Kagawa University (ISSN:13490001)
巻号頁・発行日
no.13, pp.41-53, 2016-03-01

本研究の目的は、香川大学1年生の問題行動の実態を明らかにし、その結果をもとにコンプライアンス教育の在り方について考察することにある近年、大学は不祥事対策としてコンプライアンス教育を強化しなければならない状況に立たされている。例えば、学生が犯罪などの不祥事を起こしたのなら、大学はメディアを通して謝罪し、不祥事対策を講じ、それを発信しなければならない。抑止のしようがない問題の対策を講じることの是非はともかくとして、その一連の流れが「誠意ある対応」としてみなされていることは間違いないだろう。確かに、大学は公的な機関であるし、特に香川大学のような地方国立大学においては地域に対する説明責任が生じている。また、2008年に中央教育審議会が示した「学士力」の構成要素には「市民としての社会的責任」や「倫理観」が挙げられており、社会が大学に期待する教育の一環としてコンプライアンス教育が位置づけられているといっても過言ではない。加えて、不祥事に関わることのない大多数の在学生の心情を想像すれば、同じ大学から犯罪者を出さないための手段を講じることが大学の役割の一つのようにも思えるその一方、大学においてこの問題を論じるのであれば、こうした社会的要請がある種のモラルパニックの中で生じているということにも自覚的でなければならないだろう。モラルパニックとは、「社会一般に受容されている文化や規範に挑戦したり、逸脱したりする人々を、社会の秩序や公共の利益を脅かすものとしてやり玉にあげ、冷笑・避難・憎悪・激怒を一斉に浴びせる標的に仕立て上げてしまうヒステリックな大衆心理現象」(盛岡・塩原・本間編、1993、1427頁)のことを指す。罪を犯した学生やその学生が在籍する大学が危険視され、メディアの媒介によって社会不安となる。コンプライアンス教育はその社会不安を解消する「特効薬」として期待を集めるのであるしかし、簡単には「特効薬」は見つからない。そうなった時、行き場のない思いが罪を犯した者やその者が所属する集団の排斥を引き起こしかねない。ジョックヤングは、1960年代後半以降、欧米社会は「安定的で同質的な包摂型社会から、変動と分断を推し進める排除型社会へ」(11頁)移行したと指摘する。排除型社会では、存在論的不安を背景に他者を悪魔に仕立てあげ、社会問題の責任をなすりつける「他者の悪魔化」がおこなわれる。もちろんこれは欧米の話だが、非正規雇用の拡大や失業者の増加等日本にあてはまることが多く、日本もまた排除型社会だとされる。本研究にひきつけてみると、罪を犯した学生やその学生が在籍する大学が危険視され、その解消のために「特効薬」としてコンプライアンス教育が求められる。しかし、簡単には「特効薬」は見つからず、結果として、危険視される学生や大学は「悪魔」として排除される可能性がある。大学におけるコンプライアンス教育について論じるのであれば、こうした問題が付随していることを忘れてはならないし、間違っても「他者の悪魔化」を助長する方向に学生たちを導いてはならないだろう。先のストーリーを意識的にずらして、つまり、問題の原因を個人や一部の集団の異常性に見出し、それを排除するのではなく、社会的構造を含めた広い視野で問題の本質を見極めながら、大学ですべきこと、できることを取捨選択する必要がある。こうした問題意識に立ちながら、本研究は、香川大学1年生の問題行動の実態を明らかにする。エビデンスにのっとった検討を進め、排除型社会に寄与しないコンプライアンス教育の在り方を考える一助としたい。
著者
Willey Ian
出版者
香川大学
雑誌
香川大学教育研究 (ISSN:13490001)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.29-42, 2008-03

日本の大学で英語教育に携わる外国人の多くは,大学生が取り組んでいる日本語による課題について充分な知識を持っていない。「課題レポート」はそのひとつである。著者は「英語の書き方」と「日本語の書き方」に関する研究,偏見,および経時的変化について言及した。現在日本語で出版されているレポートの書き方に関する文献からのアドバイスについても触れた。さらに大学生を対象に課題レポートの課し方や学生の取り組み方等を明らかにするために行ったアンケート結果を報告した。対象は4学部の2年生(123人)。アンケート内容は,評価基準の説明はあるか,資料収集は必要とされるか,学生がレポートの書き方について指導を受けたか等。その結果,学生の多くはレポートの返却をされておらず,半数以上は大学で指導を全く受けていなかった。しかし,指導を受けたことのある学生はアメリカの学生と同じように様々なアドバイス(引用する方法,段落の組み立て方等)を受けていたことがわかった。以上のことから,1年生のために日本語によるWriting授業やセミナー,あるいはWriting支援センターの必要性を示した。