著者
濱田 康行
出版者
北海道大学大学院経済学研究院地域経済経営ネットワーク研究センター
雑誌
地域経済経営ネットワーク研究センター年報 (ISSN:27580695)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.135-156, 2022-03-30

資本主義の弔鐘がなる,という150 年前のマルクスの言葉が聞かれるようになった。左翼思想の側からだけでなく,いわゆる体制派と思しき人々も,この世の終わりをつぶやくのである。こうした言動の背後には,人々の耳目を引きたいという動機もあろうが,それだけではなさそうである。株価を除けば,資本主義のほぼ総ての指標は衰退をしめしている。加えて,物質の豊富さとは裏腹に,多くの人々にとってこの世は住みにくくなっているらしい。幸福論という,やや,怪しげなものだけでなく,社会学の研究が示す様々な統計に,それは示されている。しかし,である。鐘が鳴り止んだ後の,経済・社会の姿が皆目,わからないのである。誰もそれを語らないまま,日暮れの鐘撞場から去っていく。予想が社会科学の任務でないことは,そのとおりだが,人々が不安に思っているときに,来たるべき社会の輪郭を科学的な考察に基づいて示すことは,必要だろう。存在意義という言葉はこういうときのためにある。私の専門は,ここにない,などと言ってはいられない。本稿は,こうした問題意識ではじめた研究会の二番目の成果である。ひとつ目は,社会学者との共同研究であったが,今回は近い将来の合流を意識しつつ,それぞれのテーマを設定した。対象は,株式市場である。最初の考察対象が株式市場なのは,それが資本主義の生みだした最大,最強の装置だからである。これがあってこそ,巨大な投資が可能となり,大きな生産設備,インフラがつくられた。では,鐘がなり終わった後,この巨大装置はどうなるのか?どうすべきか?ドイツの社会経済学者,G・コルネオ,日本の在野の研究者,平川克美,廣田尚久の主張を検討しつつ,マルクスの残した,否定の否定の命題に沿って,株式市場の将来を考えてみたい。