著者
園井 ゆり
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.43-59, 2004-02-13

本稿の目的は、わが国における優生思想の変遷過程をフェミニズム運動との関わりから考察することにある。今回は、最初の試みとして、戦前期における青鞜運動と戦後期におけるリブ運動とに着目する。青鞘運動においては、女性の「性と生殖の自己決定」という今日的な課題が提起される一方で、「母性」を強調するあまり、結果として国家主義的な優生思想を肯定する傾向もみられた。戦後、1970年代初頭に生まれたリブ運動は、日本における母性の議論に優生主義的傾向が潜んでいることを見抜いた。リブ運動が闘った様々な課題のなかで最大といえるのは「優生保護法改正案」阻止をめぐる闘争である。この中で目指されたのは女性の「性と生殖の自己決定権」の確立である。闘争の過程でリブ運動は、優生保護法に潜む国家による生殖の管理を看破し、母性の議論に潜む優生思想的傾向を看破した。この意味でリブ運動が果たした役割は非常に大きい。しかし、リブ運動においてなされた主張は、その一方で生殖に関わる女性の権利と生命の尊厳とはいかに両立できるかという重大な問いかけを残すことにもなった。この問題は、先端生殖医療が可能となった今日、ますます現実的なものとなっている。フェミニズムはこの問題に対して、いかに解答すべきかを迫られている。
著者
園井 ゆり
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.46-61, 2001-02-16

本稿では「1.家庭での無償の再生産労働は,とりわけなぜ女性に配当されるのか 2.労働市場で女性はなぜ不利な立場におかれる傾向があるのか」という問いを提起し,問いの解明を「段階とジェンダー」の視点を交えながら模索する。 問題を解明するための方法として,本稿の問いに特に関わりがあると思われる「マルクス主義フェミニズム理論」(社会主義婦人解放論,前期ならびに後期マルクス主義フェミニズム理論)と,マルクス主義フェミニズム理論に少なからず影響を及ぼした「ラディカルフェミニズム理論」とを取り上げる。これらの理論を吟味した上で,特に,後期マルクス主義フェミニズムの理論がこの問いの解明に最も有効な理論であるということを指摘する。さらに,外国人労働者の受け入れ等,今後変化しつつある労働市場において,女性の立場を説明する理論としてのマルクス主義フェミニズムの可能性についても触れたい。
著者
浅利 宙
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.81-100, 2003-02-14

本稿では、日本の家族社会学で展開された、社会生活上の「家族」に関する議論を取り上げ、その変化の過程を追うとともに、現代的課題を検討する。当初、社会生活上の「家族」への問いは、「個」の制約をめぐる社会規範への問いとして形成されており、その代表例として、戦前期に「社会形象としての家」という文脈から展開された、鈴木栄太郎の家族論を挙げることができる。鈴木は「社会制度としての家族」への着目を出発点にして、個を融合させる「家族の全体性」の存在を主張するとともに、社会生活上の行動規範として「家の精神」を導出した。この視角は、鈴木自身の家族概念の多義的使用、そして、社会規範から現実生活への関心の転換と核家族概念の浸透にともない、家族社会学の主要な問題関心とはならなくなっていった。だが、現在、個人と家族との関係に注目が集まっているゆえに、家族による個への制約は、決して無視できない問いになっている。その際、社会生活上における「家族」という視座は、現実生活への着目を保持しながらも、独特の「重さ」に関する問いの歴史をもつ、「個」を制約し、融合せしめる点から、また、場面自体を規定する側面から、いっそう、重要になってくるだろう。
著者
藤嶋 康隆
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.103-124, 2006-02-10

本稿の目的は優越要因説を擁護することである。優越要因説はマルクス主義社会理論の代名詞と呼ばれるほどマルクスの諸理論と結びつけられて考えられることが多い。マルクスの諸理論は現在あまり着目されないが、筆者は特にマルクス流の経済を基盤とした優越要因説はあらためて再考されるべきであると考えている。議論をすっきりさせるためにドゥルーズの議論に示唆を得て、微分法や導関数という数学的方法によってマルクスの諸理論とパーソンズ的なシステム論を対比させた。次に「偶然」をめぐるラカンとデリダの議論を検討し、人間には偶然を必然にかえるメカニズムが存在する点でラカンを擁護する一方、「偶然」を「偶然」のまま扱うデリダの議論をルーマンのシステム論と親和的なもとでると解釈した。しかし賃労働によって得た貨幣によって成り立つ資本制経済のもとでは意識システムの行う観察は経済システムの行う観察と重なる場合が多く、結果的に社会を経済システムから観察するというマルクス流の優越要因説が人間の意識にとって支配的であり、避けられないということを論じた。
著者
藤嶋 康隆
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.81-96, 2002-02-15

本論文の第一の目的は,精神分析学,特にフロイトーラカン(派)の社会理論を古典的な社会理論であるデュルケムの社会理論と接続させて理解することによって,フロイトーラカン(派)を従来の社会理論の中に位置づけることである。本論文の第二の目的はこのようにフロイトーラカン(派)をデュルケムの社会理論と接続させることによってラカン派やデュルケムを含めた既存の社会理論の限界点を明らかにすることである。その際,問題になるのは社会学において「他者」概念がどのように論じられてきたかである。デュルケムやラカン派の社会理論を概観して明らかになったことは,これまでの社会理論では「他者」概念が主体にとって「内的な環境」にとどまり,「絶対的」な「他者」概念が欠如しているということであった。既存の社会理論では自己の内的な環境としての「相対的」な他者については十分に論じてきたが,自己にとって非対称的で,「私にとってこの同じものが相手にとって別のことを意味するような」絶対的な他者の視点については論じてこなかった。これからの社会理論においてはこうした絶対的な他者概念こそを理論化することが必要になるであろうとして結論とした。
著者
森 康司
出版者
九州大学
雑誌
人間科学共生社会学 (ISSN:13462717)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.47-61, 2002-02-15

本稿は,大学運動部貝のジェンダー観と,スポーツ価値意識との関係に焦点を当てている。最終的な目標は,大学運動部にみられる諸特性や,大学運動部員のスポーツに関する価値意識が,どの程度大学運動部員の社会生活の諸領域にわたる意識にまで反映されているのか,という点を明確にすることであり,本稿ではその足がかりとして,ジェンダー観に注目する。大学運動部の特徴や日本人のスポーツ価値意識については,これまで様々な指摘がなされてきたが,現在では大学運動部も時代の趨勢にしたがって多様化しているとされ,以前指摘されてきた特徴にも表面上には変化が生じてきている。様々な変化が生じている現在であるからこそ,運動部については,従来とはまた異なる視点からの研究が必要とされている。「学校運動部は男性の性差別的な意識を培養する」という指摘についても,再検討が必要だろう。一大学を対象とした調査研究の結果,男性部員の性差別的な意識と,女性部員の性差別的慣行への容認的な態度は,彼・彼女たちのスポーツ価値意識と密接に関係していることが推論できる。