著者
橘 昌信
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p73-98, 1989-02
著者
白峰 旬
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.46, pp.129-150, 2016-03

高橋陽介氏が著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』(1)を昨年(2015年)11月に自費出版された。高橋氏からは筆者に対して謹呈送付していただき、感謝している。早速のその内容を拝読したところ、関ヶ原の戦いに関する高橋氏の新説による見解と、筆者(白峰)による私見との間に解釈の相違がある箇所も見られるので、本稿では、そうした点も含めて、高橋氏の新説を検証していきたい。 高橋陽介氏の著書『一次史料にみる関ヶ原の戦い』(以下、高橋本と略称する)の内容は、以下のような構成になっている(目次とあとがきは省略する)。1 やはり「問い鉄炮」はなかった(6~9頁)2 一次史料のみによって考えるということ 九月十五日付徳川家康書状を読む(10 ~ 13頁)3 では実際にはどうだったのか 九月十七日付吉川広家書状の別解釈 九月十七日付吉川広家書状の別解釈①(14 ~ 17頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈②(18 ~ 20頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈③(21 ~ 23頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈④(24 ~ 27頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑤(28 ~ 30頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑥(30 ~ 33頁) 九月十七日付吉川広家書状の別解釈⑦(33 ~ 40頁)4 山中における西軍の布陣について(41 ~ 45頁)5 なぜ西軍は関ヶ原へ向かったのか 九月十二日付石田三成書状を再考する 九月十二日付石田三成書状を再考する①(46 ~ 50頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する②(50 ~ 53頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する③(53 ~ 56頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する④(56 ~ 59頁) 九月十二日付石田三成書状を再考する⑤(59 ~ 68頁)6 南宮山からみた東西両軍の布陣 九月十二日付吉川広家書状による裏付け(69 ~ 77頁)7 島津軍の中央突破・「島津退き口」について(78 ~ 82頁) 以下、順を追って、内容を検証していきたい。
著者
飯沼 賢司
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢
巻号頁・発行日
no.24, pp.34-36, 1994-03
著者
中村 修身
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.46, pp.1-22, 2016-03

これまでに北九州市内の金石文の紹介を五回(若松区、八幡西区、八幡東区、小倉北区、小倉南区の一部)行ってきた。その続きとして、小倉南区所在の金石文の紹介である。小倉南区は諸般の事情で前回と今回に分けたので、番号は前回を引き継いだ。 物件ごとに、銘の書かれている物件、その現所在地、銘の書かれている部分そして銘の順に記し、各物件の紹介の後にそれぞれに対する雑記を加えた。 多くの資料で判読に難渋したが、今後の歴史研究の一助となればと思い史学論叢に発表する場の提供をお願し、ここに発表するものである。発表の場を与えていただいた別府大学の諸先生、いろいろと情報を提供いただいたみなさん、貴重な御物や文化財を快く触れさせていただいた関係者の方々に深く感謝の意を表したい。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.41, pp.39-66, 2011-03
著者
好並 隆司
出版者
別府大学史学研究会
雑誌
史学論叢 (ISSN:03868923)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-9, 2009-03 (Released:2011-02-26)