著者
神山 美奈子
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集. 人文・自然科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University (ISSN:03850056)
巻号頁・発行日
vol.55, no.1, pp.55-67, 2018-07

1905年に滋賀県近江八幡市に来たW. M. ヴォーリズ(William Merrell Vories,一柳米来留)は,日本で建築事業と宣教事業に携わった。彼は,朝鮮半島にも146の建築作品を残していることが知られているが,それは日本が朝鮮半島を植民地支配している時期の作品であった。本論文は,ヴォーリズが植民地朝鮮をどのように認識していたのかについて残された史料と朝鮮人の弟子,姜沇との関係から究明する。さらに,ヴォーリズがみた植民地朝鮮理解の現代的意味を提示する。
著者
田中 まさ子
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集. 人文・自然科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University (ISSN:03850056)
巻号頁・発行日
vol.53, no.2, pp.13-32, 2017-01

保育とは,養護と教育の一体的な作用であるとされる。では,この考え方はどのように形成されてきたのか,これを明らかにするのが本研究の目的である。この目的のため,戦後の保育所形成期に着目し,当時の文献から論考した。論考の結果,保育所形成期において児童福祉法,保育要領,児童福祉施設設置基準及びその解説書等を通して,保育が保護と教育の一体的作用であるという認識が浸透していったことが分かった。それはまた,戦前から保育所に対して要望があった「教育的保護」の実現に向かう過程であった。その一方で,この時期に「養護」の語は,児童福祉法において特定の施設の機能を表す語として規定され,学校保健に由来する養護とは別の語概念が生じたことが分かった。
著者
文 禎顥
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集. 人文・自然科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University (ISSN:03850056)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.145-171, 2019-01

本研究は,古代ギリシャ時代から始まり,修辞学的伝統と哲学的伝統という二つの型を有するリベラルアーツの歴史とその理念を紹介し,キリスト教におけるリベラルアーツの受容の一例,つまりリベラルアーツの一つである修辞学を聖書解釈の道具として用いた古代キリスト教教父アウグスティヌスにおけるリベラルアーツのキリスト教的受容について考察する。そしてこれらの議論に基づいてリベラルアーツ理念と向き合う際,一般教養科目の枠の中に位置づけられているキリスト教必修科目に求められる「アルス」(術)は何なのかについて論じることを目的とする。
著者
鈴木 啓司
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集. 人文・自然科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University (ISSN:03850056)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.23-41, 2018-01

「モノそのもの」であることを表現する言語の構築を目指す新物質主義の思想にのっとり,数学概念のモノ化を目指す。数学は特定の指示対象をもたぬ極めて抽象的な言語であるだけに,逆に人間という「モノそのもの」の内奥から湧き出,それを映し出している言語であると考えるからだ。具体的な対象として,実数,虚数を合わせすべての数を表示する複素平面を取りあげる。認識論的存在論から話を起こし,実数を自己に,虚数を他者になぞらえて解釈する。当初は「あちら」と「こちら」という原始的世界他者意識が,のちに両者が交叉し,中間に「自己」意識を結ぶ。自己とは他者=世界の後付けで生まれたものである。通念とは逆行するこの虚数から実数へという流れを,複素平面のなかに読み込む。こうした観点から,オイラーの公式,さらにはリーマン予想にまで言及する。
著者
木村 光伸
出版者
名古屋学院大学総合研究所
雑誌
名古屋学院大学論集. 人文・自然科学篇 = Journal of Nagoya Gakuin University (ISSN:03850056)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.69-78, 2015-07

人(ヒト)は自己人為選択という生物の中でも人類に特有の機構的変化を用いて自らを社会化し,形態的変化の少ない進化形として自己家畜化の道を歩んできた。そのプロセスを考えると,外的環境と自己の主体性の有機的な相互関係を想定することが,もっとも人類進化をわかりやすくする。ところがこのような考え方は,獲得形質の遺伝として,検証なしに否定されてきた概念であり,現代科学には受け入れる余地すらない。しかし,生物細胞が外的環境にさらされることによって,容易に変化したり,初期化される可能性は本当にないのだろうか。進化の長大な時間と人間の主体的変化を個体レベルではなくて,種の概念と人(ヒト)の自己家畜化現象という概念で再考察してみる。