著者
御供 泰治
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.103-104, 2001-03

石原英子先生がこの度平成13年3月31日をもちまして,定年ご退職される運びとなりました。先生には平成4年4月に薬学部より,本学部の前身である名古屋市立大学看護短期大学部へ教授としてご着任になられて以来,看護短期大学部の7年間と看護学部の2年間計9年間にわたり,看護学の教育と研究に尽力してこられました。そもそも先生はそれ以前すでに,昭和29年4月に名古屋市立大学薬学部にご入学以来,平成4年3月まで実に38年の長きにわたり,田辺キャンパスにてご活躍になっておられました。そんな石原先生をご着任以前に,われわれが身近に感じたエピソードがございます。それは昭和63年4月に看護短期大学部が開設してからわずか4年後に,当時の化学と生化学を担当しておられた高橋禮子教授が,定年退職者第一号になられました。開設後まだ日も浅く,本学教員の退職記念事業に関するルールや慣習もなく,内部ではどうしたらいいものかと考えあぐねておりました時点で,高橋先生の当時の研究者仲間であられた,分子医学研究所の(故)加藤泰治教授と医学部細菌学の安田陽子助教授(本学非常勤講師兼担)と,薬学部の助教授をしておられた石原先生の三人が,いち早くご準備を進めておられることが判明しまして,われわれはお願いしてそれに便乗する形をとらせて頂いたお陰で,何とか面目を保つことができました。先生はご母堂や叔母上が教師をしておられた関係で,女性の進学に関しては恵まれた環境におありでしたが,受験に際して特に薬学分野に興味を持ったり,薬剤師に憧れたというわけではなかったそうです。4年生になり就職先もすでに決まっていた学生生活最後の夏休みに入り,衛生化学教室の募集した環境衛生に関するアルバイトになんとなく応募したのがきっかけで,現在の研究者への道をスタートされたとお聞きしています。当初は,(故)石坂音治名誉教授のもとで11年間にわたり公害対策に関する最先端の勉強をされ,その後は手島節三教授(現名誉教授)のもとで糖質に関する解析の研究に従事されました。そして,昭和51年には「脂質分解酵素に関する研究」で薬学博士の称号を受けておられます。その他に「オリゴ糖の分析法」や「天然着色料の生理的条件下での分解」,さらには「インフルエンザウイルスの細胞内増殖を規定する糖鎖の構造解析」などの研究をされ,衛生化学の分野でこれまで多くの業績を残してこられました。その間には,昭和36年愛知県薬剤師会奨励賞,昭和59年には三島海雲記念財団学術奨励賞などを受賞され,平成3年には中埜研究奨励会助成金,平成4年には医科学応用研究財団助成金を受けておられます。また,名市大医学部第一生化学教室やウイルス学教室,名城大学薬学部臨床生化学教室や衛生化学教室などとの共同研究を通して,高橋礼子先生や信澤枝里先生など実に広い人脈をお持ちです。先生の薬学部当時に,衛生化学教室や各種委員会の運営上先生が極めて貴重な存在であり,手島節三教授が敬服されているというお噂を,周りの方々から何度も耳にする事がありました。この事はその後縁あって先生に看護の世界へきて頂き,実際身近に接してみてわれわれ自身が実感してまいりました。教授会や委員会で物事や議論が停滞したり,はたまた暗礁に乗り上げたりした時など,先生の発案や一言によってその後うまく展開していくことが,これまで何度あったことか知れません。看護短期大学部時代には研究紀要委員会委員長や図書室運営委員会委員長を努められ,学部の運営に多大の貢献をされました。また看護学部設立準備の時期におきましては,入学試験専門部会の部会長としてご活躍されましたことは,特筆すべきものと思われます。平成11年4月の看護学部発足と同時に,今度は大学評議員として名市大全体の運営にも参画され,さらに大学制度検討委員会では,より良い教養教育のあり方を求めてご活躍になってこられました。なかでも平成12年は本学の開学50周年の年に当たり,その記念事業検討委員会の主要メンバーの一人として,式典・講演会など成功裡に治められたことは,まだわれわれの記憶に新しいところであります。教育面におきましては,大勢の学生を一人で担当する困難な条件にもかかわらず,以前の専門学校における教育とは異なった,大学における看護教育の中での化学の実験として,pHメーターの使用法の把握などを導入したり,助産学専攻科学生の卒業研究論文の作成指導に当たっては,教授の厳しさと母のやさしさで学生に接し,誰からも慕われてこられました。一方,学外におきましては,日本薬学会・日本生化学会・日本糖質学会・社会薬学研究会・日本食品化学学会・日本食品衛生学会・日本母性衛生学会・愛知県母性衛生学会の各会員として,実に多くの学会発表や原著論文を出され,大いにご活躍をなさいました。
著者
石原 英子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.105-106, 2001-03

平成12年度をもって定年退職をする筆者に,貴重な紙面での発言の機会を与えて下さいましたことを有難く思います。筆者は,平成12年10月28日に挙行された名古屋市立大学開学50周年記念式典・祝賀会・講演会の実行委員として,また,同年11月18日に開催した看護学部の市民公開講座に演者の一人として参加しました。そこでみた看護学部の活躍ぶりと市民公開講座開催までの経緯について記録しておきたいと思います。市民公開講座 : 公開講座企画委員会は大学全体の委員会の一つとして存在し,大学全体の公開講座の企画を調整する(平成12年度の看護学部選出委員は小玉学部長と研究紀要委員会委員の藤原奈佳子助教授)。その委員会が4月3日に開催され,今年は,開学50周年記念事業の統一テーマ「市民が育て,市民に発信する名古屋市立大学」に基づいて公開講座を企画することとなった。研究紀要委員会 : 学部内の研究紀要委員会は企画案を作成し,アンケートの結果を参考に,実演・実技を含めた講演を向う3年分を計画した。「第1回 : 看護と食」「第2回 : 五感と食」「第3回 : こころと食」である。今年,市民に配布された資料には,2000名古屋市立大学市民公開講座・第5講座看護学部テーマ「看護と食」,講師及び演題「看護と食-総論」「健康維持食から治療食まで」,実演「食品の塩分濃度を測定してみよう」と記されていた。障害のある方への対応と評価 : 市民向けパンフレットには「耳が不自由など,障害のある方は事前にお知らせ下さい。手話通訳等必要な対応をさせていただきます」とある。藤原委員の発案で字幕と手話通訳が実現した。歴史のある市民公開講座で,初めての予算措置であった。受講者のアンケートによると評判は上々であった。だが,もし車椅子使用の方が受講を希望したら,対応用トイレがこの川澄キャンパスには無い。このことも看護学部の13年度の予算要求(案)として取り上げられたが,復活要求では採用されなかった。「健康維持食から治療食まで」 : このテーマを依頼された理由を考えた。筆者が担当した科目に「生活・臨床栄養学」があり,それから由来していると想像した。この科目は本看護学部が設置申請した際,独自に立てた内容で教科書が無い。30時間の半分は健常人の家庭での栄養学に,半分を患者の臨床での栄養学にあて生化学的に解説している。健常人と患者に共通する栄養学上の警告に植物油(リノール酸を主成分とする)摂取過剰がある。以前の「脂肪に関する栄養指導」の誤りがはっきりしているのに,厚生省の対応が非常に遅いため,この警告を市民へ発信することにした。看護学部の活躍 : 本学は医学部,薬学部,経済学部,人文社会学部,芸術工学部,看護学部,自然科学研究教育センターからなる総合大学である。そのなかで,看護学部は何事につけ最も真剣に,最も着実に対応している。今回の市民公開講座の準備状況と当日の対応にも,それをみた。字幕業者との打ち合せを含めた綿密な準備と研究紀要委員会の方々および事務室の方々の心からの協力があり,以前には見られなかった団結力を感じた。看護学部は,名古屋市の中心地を通る地下鉄桜通線の改札口から一番近いところにある。地理的にも看護学部は市民・看護職者および関係職者との交流・提携・研修活動の拠点にふさわしい。車椅子対応用トイレの設置とその通路環境が早く確保されれば良いがと願う。看護学部から発案した字幕は「開学50周年記念講演会」で先に実施された。字幕に演者の発言がたちまちに打ち出されるのをはじめてみて感心した。この開学50周年記念式典・祝賀会・講演会に看護学部の教員はどの学部よりも多くの比率で参加した。式典の閉会のことばを担当したのは看護学部の筆者であった。在学期間も含めると,本学に46年間お世話になったことと重ね合わせ,感慨深いものだった。お別れに際して : 大勢の方々に支えられて,沢山の思い出を共有させていただきました。大豊作の秋のような感謝の気持ちで一杯です。有難うございました。
著者
勝又 正直
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.47-53, 1999

ヴェーバーの「宗教社会学論集」のなかの「世界宗教の経済倫理」の諸論文はこれまで「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を前提にして読まれてきた。その結果、プロテスタンティズム論文のテーゼの状況証拠の論文集と見なされてきた。しかし両者をよく読むと、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の方には政治領域への言及の欠如があることがわかる。初版の注からその欠如を埋めるのがイエリネックの「人権宣言論」であると推測される。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」」と「人権宣言論」の両者をセットにして読むとはじめて、プロテスタンティズムの政治経済双方への影響が見えてくる。と同時に、「宗教社会学論集」が東洋的家産制批判であるばかりか、ドイツ帝国の批判であり、真の市民社会創造の可能性を探った論文であることが了解されるのである。
著者
奥村 太志
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.47-55, 2002-03
被引用文献数
3

本研究は,退院の意向を持ちながら,10年以上の長期入院に至っている2名の精神分裂病患者が持つ,現状や退院に対する意識の特徴について,半構成的面接を通して述べられた患者の体験に基づいて検討したものである。その結果,以下の点が明らかになった。1)患者は,退院が現実的に困難な理由として,社会資源利用についての情報が不足していることや,家族の状況として受け入れが難しいことを認識していた。2)患者は,保護的環境である病院の中で,病院に順応するという形で無理をしない生き方を獲得してきたにもかかわらず,社会に適応するための準備をするという意味では無理をしなくてはならないという矛盾を抱えていた。つまり,今の自分にとって社会復帰が実現不可能かもしれないという自己評価の低下が,リハビリテーションなどへの活動意欲の低下へとつながり,現実には長期入院に至っていた。3)患者は,自分自身が入院に至った理由を病気によるものではなく,家族や周囲の理解不足や,生育暦に影響された自分の対応のまずさにあったと考え,さらに長期入院という経過そのものが,自分の社会適応を阻んでいるとしていた。同時に,過去の体験を消化できず,未だに拘り続ける自分を認識しており,それが現実レベルの不安となり,対処方法が見つからずにいた。4)患者は,面接を通して,病院の中でどのような生活をし,どのような体験をしてきたかを言語化することによって,客観的に自己を捉え,現状を認識し,洞察することができたと考えられた。
著者
大村 いづみ
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.23-29, 2003-03
被引用文献数
5

妊娠初期から産褥期までの母親意識(母親役割の受容、子どもへの感情)と抑うつ状態の変化および両者の関連について分析することを目的に、正常な妊褥婦52例を対象に質問紙調査を行った。母親役割の受容については、全般に積極性得点が高く、消極性得点は低かった。積極性得点は妊娠末期にやや低下する傾向があり、消極性得点は妊娠末期から産褥期にかけて高くなっていた。子どもに対する感情では、子どもの人格性の意識と密着の得点が他よりも高かった。また、Zungスコアの平均から見て軽度から中度の抑うつ状態にあると考えられた。時期別には、妊娠末期にZungスコアが高く、産褥期には低下していた。しかしながら、母親意識、抑うつ状態とも妊娠時期による統計的有意差は認められなかった。一方、積極性得点と抑うつ状態との間(r=-0.47)、また、子どもへの献身得点と抑うつ状態との間(r=-0.41)には相関が認められた。このことから、母親意識と抑うつ状態との間には関連があると考えられた。この点を中心に今後、さらに対象例数の増加、同一対象の縦断的追跡など、検討が必要である。
著者
小玉 香津子
出版者
名古屋市立大学
雑誌
名古屋市立大学看護学部紀要 (ISSN:13464132)
巻号頁・発行日
vol.1, 2001-03

私共の学部は看護系大学のなかではまったくの後発校であることもあって,淡々と,気負わずに発足したのでしたが,"紀要"をめぐっては,何とも意気込みました。身のほどにあわせて最善をつくせばよいとは知りつつも,大学学部なのだからと,収載するにふさわしい論文について討議を重ね,名称にも新味を探るなどしたあげく,初年度の発行は見送ったのです。しかし,ようやくその時がきて,ここに名古屋市立大学看護学部紀要第1巻が誕生しました。学部内輪の単純な喜びをまずは記さずにはいられません。と同時に,ご高覧くださることを願ってこの紀要をお届けいたします関連の外部の皆様には,謹んでご批評を乞わせていただきます。研究誌としての"紀要"の価値は高くないと決めてかかる向きがあり,私共の論議にもそれが見え隠れすることがあったのですが,さて,どうでしょうか。私は,看護学文献を"さわって"きた若干の経験から,ここ2,30年の日本の看護学研究の進歩は,短期大学等の紀要をぬきにはありえなかったのではないかと思っています。ちょうどその間,私は看護学のキーワードの1つである生活行動援助を主題とした文献集を5年毎に編み,150を越える看護関係誌から文献を取り出し,いくつかの観点で分類をする作業をしたのですが,当時のいちばんの印象は,たとえどんなに小さくても確かな発見のある研究,あるいは引用頻度の高い論文はかなりの頻度で"紀要"にあるということでした。それらは概して,形にとらわれずに自由に書かれており,疑問のたて方がまっとうといいますか地に足が着いていて,もっぱらその解決のために研究という方法を採った必然性が明か,したがって結果の有用性がよく見える,そんな記憶があります。研究の進め方はいったいに素朴ではありました。ということができますのは,同じ時期に私は大規模学会の学会誌編集も手がけていまして,こちらには,申し分なく形の整った,どうかすると,手の込んだ仮説をもとにみごとに作り上げたといった感のある,しかしあまりせっぱつまったふうの勢いのない論文が載る傾向があり,暗に"紀要"と比べていたからです。この種の学会誌の論文が看護学のそればかりであるのに対し,"紀要"には看護学周辺の諸学領域の研究も発表されており,看護の入った諸領域共同研究もあって,全体として看護学の研究に奥行をもたせている,そうした違いも感じました。"紀要"には,看護学の研究ではないという理由で学会誌が退けた,とはいえ看護学の研究でもありそうな研究が載っていたのです。いま,研究のスタイルも論文のスタイルも整った看護学の世界は,学会誌への発表に非常な重きをおき,確かに"紀要"を軽くみるようになっています。しかし,"紀要"のあの"長所"に思い当たると,"紀要"の復権を考える行き方のあることに気づきます。学内誌である"紀要"には,私共がへんに構えることなく投稿できるよさがあり,そのことが,形よりも実質を問いかつ必要とする看護学のような専門にもたらす恵みは大きいのです。私共の紀要には,研究による発見ばかりでなく,トライアル・アンド・エラーののちの発見も,偶然の発見も発表することができます。同僚間査読のシステムはそれを支えるように働きます。私共の紀要には,看護学の論文ではない論文も載ります。看護学部のメンバーの仕事はすなわち看護学の収穫と考えるのもよし,看護を専門としない者がしたからこれは看護学の研究ではなく,看護の者がしたからそれは看護学の研究だといったナンセンスを皆で笑うのもよし,学部に活気が高まるでしょう。私共は"紀要"に関してだけはいささか気負って論議した結果,一見以前からある伝統的な,しかし出自は間違いなく私共の学部にある紀要をもつことになりました。この紀要に,名古屋市立大学看護学部の学風を立てよう,と私は呼ばわります。文字通り,風が立って欲しいのです。