著者
新谷 洋二
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.235-242, 1986

わが国の都市には近世初頭に建設された城下町に端を発するものが多いので、その成立の経緯・時期は都市計画史上のみならず土木史上からも重要である。また近世の城は必ず城下町をともなっていた。これらの近世の城と城下町の創築状況を中部・大類・鳥羽・玉置らの成果を基にして、小川は「日本土木史概説」の中に有用な一覧表を作成して示している。しかし上記諸文献の記述の中には幾つかの問題点が存在することが見出だせる。これは城と城下町の成立年代が不確かで、複数個以上の説が存在するだけでなく、近世の城が土木・建築構造物であるために、土木工事 (普請) の完成か、建築工事 (作事) の完成かによって、示された年次に混線があること、また年次自体をとってみても、それが領主の入部の時期か、あるいは工事の計画・着工・概成・完成のどの時期を示すのかも曖昧であることにもよっている。人名・地名の変更も混線の一因となつている。以上の課題を明確にするため、年表作成上、問題点の見出だせる幾つかの城と城下町についてケース・スタディを行い、正しい表現のあり方を検討するとともに、城郭史年表に関して試論的な検討を行うことによって、土木史年表の作成に当たって検討すべき課題を考究した。
著者
天野 光三 前田 泰敬 二十軒 起夫
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.88-95, 1988

関西地方には、古来よりの伝統と格式を持ち、多くの参詣客で賑わう寺社・仏閣が数多く存在している。これらの寺社への参詣客輸送を主な目的として、明治から昭和初期にかけて多くの地方鉄道・軌道や軽便鉄道が設けられた。<BR>関西鉄道 (現JR関西線) に接続して、伊勢神宮と結ぶ「参宮鉄道」(現JR参宮線) が、明治26年に開業したのを始めとして、明治31年には高野山と大阪を結ぶ高野鉄道 (現南海高野線) が開業した。その後、能勢電車、水間鉄道、天理軽便鉄道 (現近鉄天理線)、生駒ケーブル、参宮急行電鉄 (現近鉄大阪線・山川線) など数多くの路線が次々と生まれた。これらの鉄道の中には、第二次大戦末期に不要不急路線として資材供出の犠牲となったものも少なくない。このような寺社参詣鉄道は、安定した寺社参詣旅客の輸送需要に支えられて発展していき、大軌 (現近鉄) 系のように次々と路線の拡大をはかっていった会社も見られる。<BR>しかし、戦後、昭和30年代に入り、観光ニーズの多様化や、急速なモータリゼイションなどにより乗客の大幅な減少が引き起され、経営基盤が揺り動かされている鉄道路線も少なくない、また一方では、能勢電鉄や水間鉄道などのように、都市化の波に洗われ、通勤通学輸送を主体とした都市近郊鉄道に脱皮しつつある路線も出てきている。これらの鉄道について路線の成立と発展過程をふりかえり、大阪都市圏の鉄道綱整備に果たした役割について、その意義を考察するものである。
著者
北村 眞一 村越 正忠
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.47-53, 1988-06-20 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

甲府市街地の形成の変遷を街路空間と土地利用とに着目して概観し、都市形成の発想、社会や空間構造の変化などを考察した。武田時代から江戸時代へは、武田時代の町人街をとり込みながら、新しい城下町の形成をはかるニュータウン形成であった。江戸時代から明治時代へは市街地の大きな移動はなく武家地の官公庁用地と民間用地への転換が主で、中心部再開発であった。明治36年の中央線の開通は商業・業務の中心核を駅前へ転換し、街路網形成の中心が甲府駅となった。戦後の急成長による人口増加、基盤整備の不足、モータリゼーションは甲府盆地全域へのスプロール的開発による分散化と、幹線街路整備によって対応された。戦前戦後を通して市街地は拡大し、モータリゼーションと住宅地の郊外分散化は商業立地の分散化を促した。
著者
篠原 修
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.323-330, 1985-06-25 (Released:2010-06-15)
参考文献数
15

In the paper, the difference and sameness of the road images between Japanese and French, German, English are investigated. Many sorts of words of road were picked up from these four languages first, and then the original meaning of the words were inquired from the etimological viewpoint. The road images were discussed and compared by means of these original meanings finally. As a result, the basic road images of Japanese were classified into following six categories. (1) as a orientation indicator (2) as a space for passing (3) as a element to divide and enclose houses (4) as a element of connecting (5) as a thing having long streching form (6) as a way of go and back, former two are pure Japanese images and the latter four are Chinese-Japanese ones. On the other hand, the basic images of French, German and English were classified into nine categories. (1) as a breaked way (2) as a way to reach (3) as a way of paved or unpaved (4) as a space for rambling (5) as a trodden way (6) as a way on wall (7) as a way beside water (8) as a horse riding way (9) as a city boundary element.