著者
西山 龍吉
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.13-26, 2007-03

近代における解析学の発展は実数に関する理論の完成を促し([1],[2])、実数概念は現代数学の基礎となっている([3],[4],[5])。代表的な実数論には、有理数の基本列を用いたCantorの理論([1],[3])と、有理数の切断を用いたDedekindの理論([2],[3])があり、両者は同値([3])である。このほか、公理系を用いて実数体を規定するHilbert流の実数論([3])もある。Abraham Robinsonよる創始後40年をかぞえる超準解析([6],[7],[8],[9],[10],[11])も実数論とかかわりがあり、超準解析を用いた実数論が、すでにMartin Davis([10])によって述べられている。本論においては、無限小数という概念を基礎に、超準解析を用いた新たな実数論の構成を試みる。実数は、現に同値類や切断としてよりも、むしろ無限小数としてあつかわれている。それにもかかわらず、これら無限小数間に直接加減乗除を定義しようとすると、余りの煩瑣のため目的を達しない。そのとき、超有理数体Qを理論の土台に据え、非手つづき的定義を用いるならば、構成はほとんど自明となり無限小数がもつ難点が解消される。このように超準解析は実数に対する自然なとらえ方、あつかい方に理論的根拠を提供するものであり、本論は'超準解析が可能とした無限小数による実数論'といっていい。本論はまた、これが超準解析を体験する最短のコースの一つとなることを、期待している。
著者
西山 龍吉
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.79-121, 2009-09
著者
松倉 文比古
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.2, pp.1-31, 2007-03

『日本書紀』景行天皇紀にみる熊襲・九州親征記事は、景行朝の事績についての冒頭部分に置かれ、『古事記』景行天皇段にはない独自のものである。そして、これを承けてヤマトタケルの熊襲征討が配置されている。それは、『古事記』序による限り「旧辞」には本来無かったと理解できる。従って『古事記・日本書紀』の編纂時に構想された歴史のなかでそのことの意味を検討することが、本稿の趣旨である。またそれを通して、七世紀後半から八世紀初頭、版図(歴史的世界)に関して如何なる理解を有していたのかを併せて論じた。

1 0 0 0 IR 凝然と東大寺

著者
藤丸 要
出版者
龍谷大学龍谷紀要編集会
雑誌
竜谷紀要 (ISSN:02890917)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.103-115, 2006-09

示観国師凝然(1240〜1321)は、鎌倉期に東大寺教学復興にあたった学僧として、また『八宗綱要』をはじめとする膨大な著述を遺したことで知られる。さらに、戒壇院長老として多方面の著述を為し、国師の称号まで承けている。このような凝然であるが、彼の東大寺における立場は非常に特殊なものであった。当時、僧侶として出世し、学僧として名を上げようとするならば、数多くの論義に参加することが最低条件であった。にも拘わらず、凝然は論義にまったく参加していないのである。論義に参加するには、仏教教学を専門に学ぶ学侶になる必要があるが、凝然はこの学侶ですらない。つまり、凝然が東大寺随一の学僧という名声を博しているのは、きわめて特異なことであることが分かる。凝然のような特殊な立場は、何に起因するのであろうか。おそらくは、源平争乱の煽りで壊滅的な打撃を被った東大寺の復興という一大目標のために、東大寺が凝然のような博学多才な人材を必要としていたことが大きな要因あろう。そのために、凝然は学僧ではあるが、学侶ではないという独自な道を歩むことになるのである。