- 著者
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丸山 倫世
- 雑誌
- 表現文化
- 巻号頁・発行日
- no.7, pp.14-42, 2013-03
序論 : 問題意識 : 以下に引用するのは、2000年代前半に発表されたふたつの小説の冒頭である。 / 辻ちゃんと加護ちゃんが卒業らしい。まだ眠たい目で食卓に座ってミルクティーをすする俺の位置からは、父親がリフォーム番組に触発されてつくったくつろぎスペースとやらにあるテレビが遠くに、ほぼ真横を向いて、画面が三センチほどしか見えないのだが、加護ちゃんがあの可愛らしい声で今後の抱負らしきことを語っているのが聞こえたので、まぁ多分卒業なんだろう。(3 頁) / サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信をもって言えるが最初から信じてなどいなかった。(5 頁) / 前者が白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』(河出書房新社、2004年11月)、後者が谷川流の『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫、2003年6月)である。いずれの作品も後に映像化されて人気を博したから、広く受容されたと言ってよい。引用部分からわかるように、この二作は一見非常によく似た読後感をもたらす。まず物語の舞台が高校であり、登場人物の高校生どうしの交流によって物語が展開することがその要因のひとつであろうし、また、コミカルでまんが的な人物が多数登場することもそうした印象の一因である。しかし最大の要因は、引用部分の調子で延々とテクスト全体を覆い尽くす軽薄でコロキアルな文体であろう。……