著者
内沢 達 Uchizawa Tatsushi
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.149-182, 2009

1996 年9 月18 日,鹿児島県知覧町(現・南九州市)立知覧中学校3 年村方勝己君が「おれが死ねばいじめは解決する」という悲しい遺書を残して自殺した。当時あいついで起こったいわゆる「いじめ自殺」事件のひとつである。この事件は遺された両親を中心にいじめの実態解明がすすみ,さらなる真相解明のためにと両親は原告となって損害賠償請求訴訟を起こした。本稿の大半は筆者が事件の構造や教訓を陳述書としてまとめ,原告が鹿児島地方裁判所に書証として提出したものである。本稿の要約は陳述書の目次をもって代えさせていただきたい。
著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.131-158, 2003

斎藤喜博(1911-1981)は, 1952(昭和27)年4月群馬県佐波郡島村立島小学校に校長として赴任した。斎藤は, 着任してから, かたく心を閉ざし, 勉強にも日常生活にも消極的であった児童や教師たちの雰囲気を変えることに力を尽くした。そのために, 原因となっているあらゆる慣行を廃止した。たとえば, 斎藤が赴任した当初の学芸会は, 特定の児童を訓練して, それぞれの特技を発表するというものであった。運動や音楽, 舞踊などを得意とする特定の児童が幅をきかせ, それ以外の児童はもっぱら傍観的に参加していた。そして, それらは日常的に行なわれる授業とはまったく無関係に行なわれていた。当時は「授業」自体が旧来の教え込み型, 講談調のものであり, そもそも, それらと学校行事とをつなぐという発想自体がなかったといえる。後には, 島小の全児童が, 集団で児童による表現活動を主体とした学校行事の創造に取り組み, 心をひらいて自分の実感を表現するように変わっていったが, 斎藤赴任当初は, まったくその反対であった。そのため, 児童の中に嫉妬や抑圧, 諦観が渦巻いていた。級友が活躍する場合においても, 無関心であり, また, できればできるだけ目立たないようにふるまうことがよしとされていたといってよい。そこで, 島小においては, このような形式的な「学校行事」を一時的に取りやめた。そのなかで入学式や卒業式に, 児童による呼びかけを取り入れたり, 構成遊技といわれる, 後の総合表現やオペレッタなどの身体表現活動につながる新たな学校行事を創造した。
著者
堀田 竜次 假屋園 昭彦 丸野 俊一 HORITA Ryuji KARIYAZONO Akihiko MARUNO Shunichi
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.59, pp.137-153, 2007

本研究の意義は,次の4点である.1点目は,道徳の時間の特質を反映したルーブリックを初めて作成することができたという点である.2点目は,評価観点を価値理解・自己理解・志向性にしたことで妥当性のあるルーブリックになったという点である.道徳の時間の特質を反映させた評価観点にしたことによって,道徳的価値の自覚の深まりを評価することができるようになった.3点目は,授業改善に向けての方略及び他教科・領域等,学校生活全般にわたる指導改善についての具体策を繰ることができるようになったという点である.4点目は,低・中学年や中学校,他の道徳の内容においても使えるルーブリックの様式になったという点である.