著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.55, pp.131-158, 2003

斎藤喜博(1911-1981)は, 1952(昭和27)年4月群馬県佐波郡島村立島小学校に校長として赴任した。斎藤は, 着任してから, かたく心を閉ざし, 勉強にも日常生活にも消極的であった児童や教師たちの雰囲気を変えることに力を尽くした。そのために, 原因となっているあらゆる慣行を廃止した。たとえば, 斎藤が赴任した当初の学芸会は, 特定の児童を訓練して, それぞれの特技を発表するというものであった。運動や音楽, 舞踊などを得意とする特定の児童が幅をきかせ, それ以外の児童はもっぱら傍観的に参加していた。そして, それらは日常的に行なわれる授業とはまったく無関係に行なわれていた。当時は「授業」自体が旧来の教え込み型, 講談調のものであり, そもそも, それらと学校行事とをつなぐという発想自体がなかったといえる。後には, 島小の全児童が, 集団で児童による表現活動を主体とした学校行事の創造に取り組み, 心をひらいて自分の実感を表現するように変わっていったが, 斎藤赴任当初は, まったくその反対であった。そのため, 児童の中に嫉妬や抑圧, 諦観が渦巻いていた。級友が活躍する場合においても, 無関心であり, また, できればできるだけ目立たないようにふるまうことがよしとされていたといってよい。そこで, 島小においては, このような形式的な「学校行事」を一時的に取りやめた。そのなかで入学式や卒業式に, 児童による呼びかけを取り入れたり, 構成遊技といわれる, 後の総合表現やオペレッタなどの身体表現活動につながる新たな学校行事を創造した。
著者
狩野 浩二
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = 十文字学園女子大学紀要 (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
no.51, pp.189-194, 2021-03-28

斎藤喜博は、1981年に急逝した。そのため、大量に残された資料群の行方は、全く宙に浮いたままである。近年、教授学研究の会の尽力により、短歌関係の資料群は、群馬県立土屋文明記念文学館に所蔵されることとなった。しかしながら、教育実践関係の資料群は、相変わらず、そのままである。教授学研究の会では、斎藤喜博の遺族との交渉により、その資料群の保全、整理を目指してきた。しかしながら、さまざまな事情が複雑に絡み合い、その取り組みは困難を極めている。今回、その交渉の過程において、斎藤喜博の遺族から、資料群の一覧がもたらされた。筆者は、その一覧の写しを入手した。そこで、今回は、その一覧の全貌を明らかにするべく、一覧のデータ化を行ったところである。その概要を紹介する。
著者
狩野 浩二
出版者
日本教育方法学会
雑誌
教育方法学研究 (ISSN:03859746)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.11-21, 2003-03-31 (Released:2017-04-22)

斎藤喜博(1911-1981)は,1952(昭和27)年から11年間にわたって,群馬県佐波郡島村立島小学校(後,境町と合併)の校長を務めた。その間に,斎藤はいきいきと勉強する児童をつくりだしている。島小の児童が自分の心をひらいて,いきいきと勉強した背景には,何があったのか。本論文では,子どもが地域の中でどのように活動していたのかということに光を当てる。島小学校の教師たちは学校での授業実践と同様に子どもの自主性を尊重した教育実践を地域で展開した。島小の教育実践の特徴は,子どもや教師,地域の人々を抑圧から解放し,のびのびと生活するようにしていった点である。教師たちは,儀礼的なものを排除し,児童の学力を保障する実質的なもの(授業)を大事にしていった。島小の児童は,学校での生活と同様に,地域の生活の中に課題を発見し,その課題を解決するために集団を作り,いきいきとした勉強を展開した。
著者
狩野 浩二
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.145-155, 2018-03-24

斎藤喜博を起点とする学校づくり運動において、教材解釈やそれにもとづく授業の最大の特徴は、授業において子どもの上に美を創造するという課題に挑戦し続けたということである。この場合の美は、集中という言葉をキーワードとして先行研究において捉えられてきたものであり、何を美と捉えるかによって、授業のあり方が大きく異なってしまうものである。近年沖縄の学校においてこの運動が継続しており、筆者はその動向に注目してきた。その結果、子どもの上に美を創造するという授業観により展開する学校づくりのなかで、いきいきと自己を表す子どもが育ち、学力の向上が見られた。今後、この原則の下での学校づくりを継続していくことにより、斎藤喜博の教育思想を解明するための手がかりを得ることにつながっていくと考えられる。
著者
狩野 浩二
出版者
十文字学園女子大学
雑誌
十文字学園女子大学紀要 = Bulletin of Jumonji University (ISSN:24240591)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.89-98, 2015

筆者は,1995年から沖縄における「授業研究を"核"とする学校づくり運動」に関して調査研究を継続してきた。その成果の一部はすでに公表してきている* 。 沖縄では,1975年5月に斎藤喜博,林竹二が那覇市立久茂地小学校を訪ね,同校の校長であった安里盛市との交流が始まった。その後,教授学研究の会の会員が沖縄の学校を訪ねたり,沖縄の教師たちが会の活動に参加をするなど,長期間にわたって教育研究運動が展開してきている。他の地域においては,斎藤喜博の没後,次第に学校づくり運動そのものは衰退し,現在では,ほとんど運動の展開をみないのに対して,沖縄の場合は,特異である。現在において,研究会である「沖縄第三土曜の会」が継続し,若い教師たちがその活動に参加するなど,学校づくり運動がしっかりと根付いているのである。本研究では,この展開について考察するとともに,いかにして沖縄の学校づくり運動が維持され,今日において,その成果が蓄積されているのか,という実態に迫ることが目的である。 沖縄県沖縄市立泡瀬小学校・幼稚園は,沖縄本島の中部,沖縄市の東海岸に位置する公立学校・園である。「沖縄第三土曜の会」において実践的な研究を続けてきた宮城和也校長が2014年度から学校づくりを開始した。その特長は群馬県島小学校(以下「島小」と略記)以来の学校づくり運動を継承するとともに,"表現活動"によって,子どもの心をひらき,子どもの集中力を育てる教育実践にある。 筆者は,2014年度において,10月から12月までの間,延べ15日間,2015年度において10月から12月まで延べ10日間にわたって入り,共同研究を行ってきた* 。
著者
狩野 浩二
出版者
鹿児島大学
雑誌
鹿児島大学教育学部研究紀要. 教育科学編 (ISSN:09136606)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.137-163, 2005-03-25

斎藤喜博(1911-81)が学校づくりをすすめた群馬県島小学校(1952-63)では,運動会や学芸会など学校行事のすすめ方を"授業"と同様に発想し,展開していた。授業においては,教師と児童との接点に最大の関心を持ち,島小の教師たちは,児童の可能性をひらく教育実践にうちこんでいたが,同様にして,学校行事の運営にあたって,児童がのびのびと表現活動を展開するよう教材や指導上の工夫をすすめ,特に,児童の表現の事実から指導の展開を工夫していくということについて,舞台演劇の概念である"演出"ということばを使っていた。このことは,動的な教授・学習過程の内実を教師たちがとらえるために必要だったのであり,"みる"ということばとともに,島小独自の実践概念であった。