著者
大串 和雄
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1998

本研究は、1973年9月11日のクーデターに至るチリの民軍関係を、軍の側に焦点を当てて考察したものである。本研究の一つの焦点は、アジェンデ政権(1970~73年)に先立つフレイ政権期(1964~70年)に現れた、軍の規律逸脱行動である。チリの伝統的民軍関係では、立憲秩序の尊重(文民統制)と、軍内での規律の厳守(上官の命令への絶対服従)という二重の規律が機能していた。しかしフレイ政権の後半に、主として低給与と装備・補給品不足の不満を原因として、中堅・下級将校の抗議行動が現れた。この抗議行動はこれまで充分に研究されてこなかったが、非常に大きな拡がりを持っていたことが確認された。フレイ期の抗議行動の動機は非政治的で利益集団的なものであったが、いったん、二重の規律が破られると、それが政治的規律逸脱行動に発展するのも容易になった。また、抗議行動によって軍人と文民の双方が軍が持っている力を再認識することになり、文民から軍への働きかけも増加した。フレイ政権後半から始まるチリ政治の両極化と暴力の増大はアジェンデ政権期に加速化し、軍を政治化させるとともに、もともと軍が持っていた反共意識を先鋭化させた。人民連合の革命を支援する軍内秘密組織も結成されたが、圧倒的多数の将校は反政府感情に煮えたぎった。クーデター派が海・空軍で優位を確立した後も、陸軍総司令官がクーデターに反対であるため、なかなかクーデターには踏み切れなかった。上官への服従の伝統がまだ強く残っていたため、クーデターを強行すれば少なからぬ陸軍の部隊が総司令官の命令に従い、クーデター派と政府派の軍の間で内戦になる恐れがあったからである。結局、1973年8月下旬に陸軍総司令官が辞任し、クーデターに道が開かれた。

言及状況

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こんな研究ありました:チリ軍の政治化と民主主義の崩壊(1964〜1973年)(大串 和雄) http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/10620079

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