著者
内山田 康
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2004

南インド、ケーララ南部の丘陵地帯に住むクラヴァたちの、宗教的実践と政治的実践の変容とその相互関係について平成16年度から19年度にかけて調査を行うなかで、2年目にプラーティと呼ばれるクラヴァの降霊術師に偶然に出会ったことは幸運だった。クラヴァについては19世紀の終わりに実施された民族誌的調査の短い記録がE. Thurston (1909) Caste & Tribes of South Indiaの中に再録されている。その中に、プラーティが行う降霊会について言及されているが、その内容は明らかではなかった。また、私は1992年から行ってきたフィールドワークにおいて、一度も降霊術師に会ったことがなかった。しかし、この調査の2年目に降霊術師に会い、もう行われていないと聞いていた降霊会に参加してその内容を知ることができた。プラーティは死者を呼び戻して、死者と親族が話せるようにする。親族たちが知りたいのは次の二点だ。(1) 死者はなぜ死んだのか。(2)死者はどのような負債を抱えているのか。知られないまま弁済されない負債は、生きている近い親族たちの不幸の原因となるため、死者にそのことを尋ねる。近年、教育を受けたクラヴァの中には、問題を降霊会によってではなく、裁判で解決しようとする者も現れた。このような状況のもと、降霊会を成功させることは困難になっている。しかし、降霊会は無くなっていない。クラヴァの生活環境は、ゴムブームによっても大きく変わっていた。1991年の経済自由化の後、クラヴァの生活環境は急速に変化している。また、クラヴァの社会上昇を目指した政治運動は、降霊会と祖先祭祀をやめさせ、メインストリームの宗教実践を取り入れようとするものでもあった。しかし、政治運動、生活改善運動、意識改革運動と結びついた、そのような宗教改革的な運動を通して、クラヴァは自律性を失い、地方の有力者にその土地や聖地を支配されるようになっていた。クラヴァが土地を失ったという証言は、数多く得られていたが、それに加えて百年前の土地査定の記録を入手して、その証言を記録によっても部分的に裏付けることが出来た。

言及状況

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こんな研究ありました:ケーララの場所を巡る宗教的実践と政治的実践に関する人類学的研究-クラヴァの事例(内山田 康) http://t.co/1WQl8d8i

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